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【追悼】レアンドロ・ドミンゲス──魔法を操る男が遺したもの

ピッチに立つだけで、空気が変わった。足元にボールが収まれば、誰もが息をのんだ。サッカーの中に、“魔法”という言葉が許されるなら、彼こそがその象徴だったかもしれない。 レアンドロ・ドミンゲス──Jリーグに鮮やかな爪痕を残し、見る者の記憶に「場面」として刻まれる稀有な存在。その訃報は、あまりにも静かに、しかし確実に、サッカーファミリーの心を震わせた。※トップ画像出典/Getty Images

IcôneIppei Ippei | 2025/04/02

「にいやんがボールを持つと、空気が変わった」

あるファンはそう語った。またある若手選手は、彼のプレーを見て「サッカーとはこういうものだと、心から実感した」と言った。

レアンドロ・ドミンゲス。その名を聞いてまず思い出すのは、巧みなボールタッチでも、強烈なミドルシュートでもない。スタジアム全体の空気を一瞬で変えてしまう“魔法”のようなプレー。そして、そのプレーの先にある、彼の飄々とした笑顔だ。

2025年、彼が静かにこの世を去ったという報せは、Jリーグに関わるすべての人々にとって、あまりに突然で、あまりに重たいものだった。

2010年、柏レイソルに加入したレアンドロは、攻撃的MFとしてすぐにチームの中心となり、翌2011年にはクラブ史上初となるJ1優勝を成し遂げる原動力となった。その年のJリーグMVP。まさに「魔法のようなシーズン」の主役だった。その後は名古屋グランパス、横浜FCへと活躍の場を移し、Jリーグ通算229試合・67得点という堂々たる成績を残した。だが、レアンドロ・ドミンゲスという選手を語るうえで、数字はあくまで一部にすぎない。

ピッチ内外で慕われた「にいやん」

彼はプレーヤーとしてだけでなく、人としても多くの人に愛された。柏レイソル時代のチームメイト・北嶋秀朗は、彼を親しみを込めて「にいやん」と呼んでいた。

「快方に向かっているって聞いてたのに。辛いよ、言葉にならない」

北嶋氏の言葉からは、彼が単なる助っ人外国人ではなく、“チームの家族”だったことがよくわかる。

2020年、J1復帰を果たした横浜FCには、三浦知良、中村俊輔、レアンドロ・ドミンゲスという、JリーグMVP経験者が3人も揃っていた。クラブ史に残る“夢の競演”のなかでも、レアンドロは確かな存在感を放っていた。三浦知良はあるとき、こう語っていた。

「もちろん彼は全盛期を過ぎていたかもしれない。でも、技術においては間違いなくチームで一番だった。レアンドロは本当に凄かった」

レジェンドの口から語られるその言葉は、何よりの称賛だった。

レアンドロは練習後、年下の選手に真っ先に声をかけていた。誰に対してもフラットな姿勢を崩さず、自然体で接するその姿は、若手たちの信頼を集めていた。距離を縮めるのではなく、最初から隔たりがない。そんな空気を纏う人だった。

背中で語る、サッカーの本質

横浜FC時代に共にプレーした浦和レッズの松尾佑介は、彼を「特別な存在」と語る。

「僕は、彼のプレーを見て“サッカーとはこういうものだ”と強く実感しました。その立ち居振る舞いを見ているだけで、多くのことを学べたんです」

レアンドロは、勝っている時も、苦しい時も、関係なくゴールに向かった。>試合の流れに寄り添うのではなく、自ら流れを変えに行く姿勢こそが、彼の真骨頂だった。レアンドロ・ドミンゲスは、ピッチで輝き、ピッチの外で愛された。Jリーグの発展に大きく貢献し、サッカーを文化として根づかせた一人でもある。その背中は、いまも多くの若手選手の中に「教科書」として残っている。

本日行われる明治安田J1リーグ第8節

柏レイソル、名古屋グランパス、そして横浜FC――かつてレアンドロ・ドミンゲスが背負った3つのクラブが、ピッチ上で彼に黙祷を捧げる。選手とスタッフは喪章をつけて試合に臨む。そこにあるのは、チームの垣根を越えた敬意と、心からの感謝だ。「かっこいい」を越えて、「忘れられない」を遺した人。その名を、彼が変えた空気を、あの魔法のようなプレーを。きっと誰もが、今日、思い出す。

レアンドロ・ドミンゲス──あなたがくれた魔法の数々に、心からの感謝と哀悼を。どうか安らかに。