【選手ヒストリー】リーグ優勝に貢献し続けたチームの“功労者”がユニフォームを脱ぐー増田達至(埼玉西武ライオンズ)活躍の軌跡/2024年プロ野球引退選手
増田達至投手は柳学園高校、福井工業大、NTT西日本を経て、2012年のドラフト1位で埼玉西武ライオンズに入団し、オールスター出場、リーグ優勝への貢献、最優秀バッテリーのタイトルも獲得など活躍を見せた。※イラスト/これ松えむ
淡路島に位置する兵庫県洲本市出身の増田達至は、洲本市立由良小学校4年生の時、弟の練習を見に行ったことをきっかけに興味を持ち野球をスタートさせた。当時は捕手、遊撃手を任されていたが、由良中学校3年生の時に本格的に投手に転向することとなり、以後は投手として野球人生を歩むこととなった。
高校から硬式野球をスタート。エースとしてチームを引っ張るも成績は振るわず
淡路島内にある柳学園高校に進学した増田は、高校から硬式野球に取り組み始める。部員数がギリギリだった当時のチーム事情もあって1年生の夏にベンチ入りを果たすと、秋にはエースとしてチームを牽引することとなった。
2年生の夏には県大会の4回戦で敗退。全3試合に先発して3完投1完封27回4失点の好成績を残したものの、最終学年の3年の夏は加古川西高校に0対7でコールド負けを喫して2回戦で敗れるなど、めぼしい成績は残せなかった。
一度野球をあきらめかけるが大学進学ー身体作りに注力しベストナインを獲得するまでに成長
当時はまだ身体ができておらず、球速は130キロ代中盤。プロ野球とは遠い状況だった増田は、高校限りで野球を辞め一時は就職する道も考えたというが、高校の監督の勧めもあって、福井工業大学に進学を決断する。
福井工大の進学後は1年時からリーグ戦に出場を果たすと、2年生の秋に防御率1.43の好成績を残してからはチームのエースとして飛躍。2年生の後半から筋力トレーニングに取り組むようになったことも影響し、球速は149キロまでアップした。
4年次春のリーグ戦では、10試合55イニングを投げて、投球回を上回る71奪三振をマークした。防御率もリーグ2位の0.55を記録して、ベストナインを獲得。 1年秋と3年秋には2度のリーグ優勝を果たしたが、全日本選手権や明治神宮大会に出場することは出来なかった。
ダイナミックなフォームからの力強いストレートを身に付けた増田には、NPB関係者を中心に多くの視線が注がれたが、大学卒業時にはプロ志望届を提出せず、社会人のNTT西日本入りを決断する。
プロ志望はせず社会人野球へーチームを9大会ぶりの都市対抗野球本戦進出に導く
1年目から主戦投手として活躍を見せた増田は、都市対抗の救援として4試合に登板して無失点の好投を見せたが、チームも敗れて本戦出場を果たすことはできなかった。
雪辱を期す2年目には抑えとして起用された増田は、この年も無失点の好投を見せ、チームを9大会ぶりの都市対抗野球本戦進出に導いた。都市対抗野球でも152キロまで磨き上げたストレートで三振を量産したが、チームは伯和ビクトリーズに5点差をひっくり返されて敗れ(7対8)、2回戦敗退に終わった。
いよいよプロ入団ーチームに欠かせない戦力に
2012年のドラフト会議で亜細亜大学の東浜巨(ソフトバンク)を外した埼玉西武ライオンズの1位指名を受け、翌年に入団した。
1年目の2013年は、6月に一軍昇格を果たすと、6月13日に行われた中日戦で増田は初の一軍のマウンドに上がった。延長戦に突入した同点の場面だったが、味方の悪送球により決勝点を献上して黒星を喫する、ほろ苦いデビュー戦となったが、その後もコンスタントに登板を重ねた増田は、6月には1勝1Hの活躍で、チームに欠かせない戦力となっていく。
7月のフレッシュオールスターにも出場するなど、一定の存在感を示した増田はこの年、チーム4位の42試合に登板し、5勝3敗5H、防御率3.76の成績を残した。
チームの低迷に、身体の不調に苦しむ
2014年には、三塁コーチなどとして常勝時代を支えた伊原春樹氏を2度目の指揮官に招き入れたものの、中村剛也らの故障によりチームび成績は低迷した。かくいう増田もシーズン序盤は右肩痛に悩まされ2軍生活を余儀なくされた。
5月中旬に戦線復帰を果たしセットアッパーとして44試合に登板。3勝4敗22H/防御率2.82の活躍を見せたが、チームは序盤の出遅れが響いて2009年以来のBクラス(63勝77敗4分/5位)に沈んだ。
飛躍の年ーリーグ最多登板、オールスターに初出場を果たし初の年俸1億超えに
前年のシーズン途中から監督代行を務めた田辺徳雄氏が指揮を執った2015年は、増田にとって飛躍の年となった。
開幕から勝ち試合で連投を重ねた増田は、この年リーグ最多の72試合に登板し、2勝(4敗)40H/3S/防御率3.04の活躍で、最優秀中継ぎのタイトルを獲得。7月には監督選抜によりオールスターに初出場を果たすなど、その存在感を大きく知らしめる1年となった。
辻発彦監督が就任した2017年も少し成績を落としたものの、57試合に登板してチームを支えた増田は、この年の契約更改で初の年俸1億円を突破(推定1億1500万円)。リーグを代表するリリーバーとして、存在感を示すこととなった。
不調を乗り越え、リーグ優勝に貢献。森友哉とともに最優秀バッテリーのタイトルも獲得
2018年には増田は選手会長に就任したが、チームが10年ぶりのリーグ優勝に湧く一方で、不安定な投球が続いた。リリーフとしてチーム4位の41試合の登板に登板したものの、シーズンの成績は2勝4敗2H/14S/防御率5.17に終わり、初の最多勝を手にした多和田真三や菊池雄星ら若手が躍進する先発陣とは対照的に、不安を露呈することとなった。
だが、2019年は他投手の不調もあり、シーズン途中にクローザーに返り咲くと、65試合に登板して4勝1敗7H/30S/防御率1.81の見違えるほどの成績で、リーグ連覇に貢献。軸足に体重を乗せることや自分の間合いで投げることを意識してボールの威力を取り戻した増田は、捕手の森友哉(現、オリックス)と共に最優秀バッテリーのタイトルも獲得した。
FA残留も投球が不安定にー“守護神”12年の現役生活に幕
コロナ禍の影響で6月に開幕を迎えた2020年には、調子を崩す選手が少なくない中で、5勝1H/33S、防御率2.02の成績を残してセーブ王を獲得。オフにはFA宣言を経て、チームの残留を決断した。
増田のFA残留は多くのファンの胸を撫で下ろしたが、翌2021年シーズンは序盤は安定した投球を見せたものの、シーズンが進むにつれて増田は打ち込まれる場面が目立つように。20H 20Sの平良海馬や無失点投球を続けた水上由伸ら若手投手の台頭もあって、プロ入り最小の33試合の登板にとどまり、苦しい立場に追いやられることとなった。
翌年は再び守護神に返り咲いたものの、後半戦で失速。2勝5敗、5H/31Sをマークし防御率2.45の成績を残したものの、数字以上に打ち込まれる場面が目立ち、右肩の故障で出遅れた2023年も19Sを記録する一方で、その投球には不安定さを感じさせた。開幕一軍メンバーに名を連ねて12試合に登板したものの、6月に登録を抹消された2024年の夏頃に引退を決断。12年間の現役生活に幕を下ろした。
Profil
名前:増田達至(ますだ・たつし)
ポジション:lanceur
投打:右投右打
身長/体重:180cm/88kg
生年月日:1988年4月23日
ドラフト:2012年ドラフト1位
通算成績
実働12年間:547試合(31勝38敗/194S/106H/防御率3.01
獲得タイトル
最優秀中継ぎ投手:2015年
最優秀バッテリー賞:2019年(森友哉と共に受賞)
最多セーブ投手:2020年