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【選手ヒストリー】チームの日本一、巨人移籍後のリーグ優勝にも貢献ー鍵谷陽平(北海道日本ハムファイターズ)活躍の軌跡/2024年プロ野球引退選手

鍵谷陽平は北海高校、中央大学を経て2012年ドラフト3位で北海道日本ハムに入団した投手。球団初の北海道出身投手の白星を獲得するなどチームの日本一に貢献し、2019年に巨人とのトレードオフで移籍した読売巨人軍でもチーム5年ぶりのリーグ優勝に貢献するなど活躍した。※イラスト/これ松えむ

Icône icône kinggearKING GEAR Département Editorial | 2024/12/02

函館に程近い北海道亀田郡七飯町に生まれた鍵谷陽平は、兄の影響で七飯小学校1年生の時(七小スポーツ少年団)に野球を始め、小学校5年生の時に強肩を生かして内野手から投手に転向した。地元の七飯中学でも投手として活躍した鍵谷は、野球推薦で札幌市にある北海高校に進学。道内屈指の強豪校で膣力に磨きをかけていった。

高校ではチームのエースとして活躍しプロからも注目され甲子園出場も果たす

北海高校では、高校1年の夏からベンチ入りを果たすと、2年時の秋にはチームのエースに成長。札幌予選では札幌日大を相手に9回1死まで無安打に抑える好投で、プロからも注目も集まることとなった(試合は1安打完封)。

そして、3年生で迎えた2008年の夏には、南北海道予選を制覇して甲子園への出場を決めたが、初戦に先発した鍵谷は東邦高校(愛知県)に7回までに12点を奪われ、チームも10対15で敗れ、初戦で大会を去った。

中大では自己最速をマーク、低迷に苦しむチームを引っ張る

その後、多くのプロ選手を輩出してきた中央大学に進学した鍵谷は、澤村拓一、井上晴哉らを擁するチームで存在感を示し、2年生の春に一軍デビューを果たすと、秋には自己最速の152キロをマークした。

3年次には右肘を怪我した影響により不振に陥った時期もあったが、シーズン後半にかけて徐々に復調し、秋のリーグ戦では最下位に低迷するチームの中で孤軍奮闘。打線の援護に恵まれず勝ち星は1勝止まりだったが2敗すれば2部降格が決まる拓殖大との入れ替え戦では、3連投して2勝をマークし、1部残留に貢献した。

その後も速球とスライダー、パームボールを操る本格派として活躍を見せた鍵谷は、4年の春には先発として自身初の規定投球回に到達。リーグ2位の防御率1.43で安定した投球を見せ、エースとして活躍した。

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球団初の北海道出身投手の白星獲得!チームの日本一に貢献

2012年のドラフトで、花巻東高校の大谷翔平を強行指名したことも話題となった北海道日本ハムにドラフト3位で指名された。

1年目から開幕一軍入りを果たした鍵谷は開幕の埼玉西武ライオンズ戦(3月29日)に登板して初のホールドを記録。4月14日のオリックス戦では、1点ビハインド6回から2イニングを投げてチームの逆転を呼び込んで初勝利をマークし、球団初の北海道出身投手の白星を掴み取った。その後も中継ぎとしてマウンドに立ち続けた鍵谷はルーキーイヤーの2013年に33試合に登板し、防御率は3.33。2勝3敗1H/5Sの成績を収めた。

2年目の2014年も21試合に登板し、で1勝0敗2H/防御率2.20を記録した鍵谷は、CSファイナルステージのホークス戦で、ポストシーズン初勝利をマーク。2015年にはチームの中継ぎに欠かせない存在として40試合、日本一を成し遂げた2016年もレギュラーシーズンは48試合に登板。球団新記録の15勝を支えた右腕は、広島カープとの日本シリーズでも3試合でマウンドに上がり、優勝を決めた第6戦ではホールドポイントをマークした。

2017年は自身最多の60試合に登板して2勝3敗1S/17H/防御率2.53の成績を収めて5位に沈むチームを支えたが、翌2018年の春季キャンプで右尺側手根屈筋の挫傷により戦線を離脱。以後は安定感が鳴りを潜め、徐々に登板回数も減らしていくこととなった。

令和初!巨人とのトレード移籍、2019年にはチーム5年ぶりのリーグ優勝に貢献

開幕1軍入りを果たし、18試合に登板していた2019年の6月に、2対2の交換トレードで読売ジャイアンツへの移籍が発表された。

日本ハムが鍵谷と藤岡貴裕、巨人が宇佐見真吾(現、中日)と2012年に日ハムをリーグ優勝に導いた吉川光夫とのトレードは、令和初だったこともあり注目されたが、鍵谷は巨人加入後も鉄腕ぶりを発揮。6月以降にリリーフとして27試合に登板し、0勝2敗6H防御率3.00の成績を収めて、チームとしては5年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

2020年も46試合に登板してリーグ優勝に貢献したものの、日本シリーズでは前年と同様の福岡ソフトバンクホークスと対戦したが、鍵谷はデスパイネに満塁弾を打たれるなど結果を残せなかった。チームはソフトバンクの前に2年連続の4タテを食らい、日本一を逃すこととなった。

2021年にも2年連続チーム最多となる59試合を投げたが、2022年は下半身のコンディション不良により出遅れると、登板回数は半減。21試合の登板に終わったこの年を境に徐々に出番を減らすと、開幕から1軍に帯同し、13試合に登板し、2勝0敗1S、防御率3.18の成績を残した2013年のオフに球団から自由契約を言い渡された。

5年ぶりの日本ハム復帰も引退決意

2012年のオフに育成契約を結び、5年ぶりに古巣の日本ハムファイターズへの復帰を果たした鍵谷は、イースタンリーグ(2軍)で13試合に登板。防御率1.10の好成績で、かつてと遜色のない安定した投球を披露し7月には支配下入りを果たしたものの、1軍への声はかからず。9月に引退を発表し、本拠地エスコンフィールドで行われた東北楽天戦(9月26日)に慣れない先発のマウンドに上がり、打者2人をアウトに取って降板。12年間のプロ野球人生に別れを告げた。


Profil

名前:鍵谷陽平(かぎや・ようへい)
ポジション:lanceur
投打:右投右打
身長/体重:178㎝/86㎏
生年月日:1990年9月23日
ドラフト:2012年ドラフト3位

通算成績

実働12年:420試合(25勝15敗/7S/84H/109SP/防御率3.45)

※記事内の情報は配信時点の情報です(2024年11月現在)