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【選手ヒストリー】沖縄からプロの舞台へ。怪我を乗り越えたサイドスローの軌跡ー比嘉幹貴(オリックス・バファローズ)活躍の軌跡/2024年プロ野球引退選手

沖縄県沖縄市出身の比嘉幹貴投手は、沖縄市立中の町小学校の3年次に野球を始め、その後も地元の沖縄市立コザ中学校を経てコザ高校に進学した。その後は、国際武道大学で通算29勝を挙げた活躍が認められて日立製作所に入社。2009年のドラフト2位でオリックス・バファローズに入団し、リリーフとして14年に渡って活躍した。※イラスト/これ松えむ

Icône icône kinggearKING GEAR Département Editorial | 2024/12/03

沖縄県沖縄市出身の比嘉幹貴は、県内高校の教諭で野球部の監督を務めた父・順二さんの影響もあり、沖縄市立中の町小学校3年生の時に少年野球チームの「武蔵」に入部し、野球をスタートさせた。当時、比嘉は遊撃手を中心にプレーしていたが、時には投手としても登板することもあったそうだ。野球の魅力に没頭していた小学校6年生の時に、比嘉は左ヒザ離断性骨軟骨炎を発症し、その後2年間は運動を控えた生活を強いられた。激しい運動ができずに辛い日々を過ごしていた比嘉だが、中学3年生の時に医師から運動の許可が出ると、軟式野球部に入部。わずか3ヶ月の活動だったが公式戦に出場し、再び野球に打ち込む日々を送ることとなった。

無名からの大逆転!大学で築いた輝かしい成績

コザ高校に進学すると1年の時に、サイドスローのスローイングを活かすために内野手から投手に転向し、投球技術に磨きをかけていったが、甲子園の出場は果たせず。最後の夏を2回戦敗退で終えた比嘉は、その後は千葉県にある国際武道大へと進学する。

高校時代は無名の存在だった比嘉だが、国際武道大ではサイドスローから繰り出される140キロ後半の速球とシンカー、スライダー、スローカーブなどの緩急のある投球に磨きをかけ、4年間で通算29勝をマーク。リーグ優勝を達成し、3年次と4年次には春の全日本選手権(2003年、2004年)にも出場したが、いずれも初戦で敗退した。なお、比嘉は大学時代にMVP、最多勝、ベストナインを2度、奪三振王を1度獲得。4年時には1年間に13勝を挙げるなど、飛躍的な成長を遂げ、その存在を知られることとなった。

成長を証明した5年目!三菱自動車岡崎戦で見せた圧巻の投球

大学卒業後は日立製作所に入社し、荻野忠寛(元ロッテ)とともに1年目から先発のマウンドを任されたものの、夏の都市対抗野球では日産自動車に敗れ、3回戦で敗退。自身初の大舞台でのマウンドは、3回途中4失点という結果に終わった。3年目の2007年にはスポーツニッポン大会1回戦(対三菱自動車岡崎)を1失点に抑えて完投勝利を挙げると、優勝を手にした日立市長杯ではMVPを受賞した。

野球部での都市対抗野球出場は果たせなかったものの、比嘉は住友金属鹿島の補強選手として大会に出場しサヨナラ負け。東邦ガスの藤江均(元横浜DeNA)との投手戦に敗れて3連敗を喫したが、入社5年目の2009年には三菱自動車岡崎戦で7回無失点の好投し、チームの4年ぶりの初勝利に貢献。その後もチームの快進撃を支え、チームのベスト8に進出に貢献し、優秀選手賞を受賞した。

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3連覇と日本一を支えるも、左ヒザの痛みとともに終えた現役シーズン

2009年のドラフト2位でオリックス・バファローズに入団。1年目の2010年春季キャンプから一軍入りを果たし、途中離脱しながらも、シーズン中はリリーフとして24試合に登板。9月4日のソフトバンク戦では、同点の5回2死満塁の緊迫した場面でマウンドに上がると、多村仁志を三振に奪って味方の援護を呼び込み、プロ初勝利を挙げた。シーズン成績は2勝1敗1ホールドで締めくくった。

2011年は右肘痛の影響で23試合の登板にとどまり、0勝0敗3ホールド、防御率7.15と低迷したが、2012年の後半から復調。2013年には59試合に登板し、4勝3敗11ホールド、防御率2.12という成績を残した。2014年には、パリーグ記録となる34試合連続無失点を達成するなど、安定した投球でチームを支え、自己最多となる62試合に登板。7勝1敗20ホールド、防御率0.79という好成績を収めた。10月2日の最終戦ではソフトバンクの松田宣浩に決勝本塁打を打たれ、リーグ優勝を逃したが、チームの飛躍を支えた。

2015年以降は右肩関節唇の修復手術を受けた影響で一時的に低迷し、登板回数も減少したが、2018年には43試合に登板して再び存在感を示すと、チームのブルペンを支えた。チームが25年ぶりのリーグ優勝を手にした2021年には、不調による2軍降格を経験。しかし夏場以降に復調し、32試合のマウンドに上がり、1勝11ホールド、防御率1.77をマーク。

自身初の日本シリーズでは、ヤクルトスワローズとの対戦で第1戦の勝利に貢献した。翌年以降も、若手投手が揃う中継ぎ陣の中で、ベテランらしい味のある投球でチームの3連覇と2022年の日本一に貢献したが、2024年4月に左ヒザの軟骨損傷により登録を抹消。本来ならば手術が必要なほどの重症であったが、回復に要する時間を鑑みて、保存療法で復帰を目指した。しかし、かつてのパフォーマンスには戻らず、残念ながら一軍復帰を果たせぬまま、今季限りでユニフォームを脱ぐこととなった。


Profil

名前:比嘉幹貴(ひがもとき)
出身:沖縄県
生年月日:1982年12月7日
身長/体重:177cm/77kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:lanceur
ドラフト:2009年ドラフト2位
経歴:沖縄市立中の町小学校-沖縄市立コザ中学校-コザ高校-国際武道大学-日立製作所-オリックス・バファローズ

通算成績

実働14年:418試合/26勝11敗/防御率2.65

※記事内の情報は配信時点の情報です(2024年12月現在)