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「誰にも言えなかった…」日本の絶対的エース・木村沙織が笑顔の裏に隠してきた“涙”と“苦悩”とは
日本女子バレーの絶対的エース・木村沙織。史上最年少17歳でアテネ五輪に出場し、ロンドン五輪では28年ぶりのメダル獲得の原動力となった。史上初となる4大会連続五輪出場やヨーロッパチャンピオンズリーグを制覇した木村が、これまで語ったことのない“挫折地点”を明かした。※トップ画像出典/Getty Images
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「もっと早く認められたら…」チームの変革が招いた極度の“スランプ”
木村沙織がバレーボールを始めたのは、小学生のとき。2003年に現役高校生ながら日本代表に初招集されると、スーパー女子高生として大ブレイクした。卒業後、東レアローズにて腕を磨き、アテネに続き北京五輪にも出場。チームトップの得点を叩き出し、一躍、日本のエースとしての期待が高まった。
世界大会にて華々しく活躍するなか、木村選手は思わぬ苦境に立たされる。それは、新指揮官・眞鍋氏が掲げた“トスからスパイク(アタック)まで1秒以内”というスピードバレーとのミスマッチだった。
相手のブロックが完成する前に打ち切るための“速いトス”。しかし、木村選手はブロックやレシーバーの位置を見極めてからの攻撃を得意としていた。スピードに馴染めず、成績も右肩下がりに。がむしゃらにもがくうちに、本来のスタイルを見失い、助走のタイミングやスパイクの打ち方さえわからないスランプに陥っていったという。
チームメイト・竹下佳江選手との涙の絆が、進化への原動力に
暗礁に乗り上げた木村選手に、救いの手を差し伸べた人物がいる。それが、日本代表の司令塔を歴任した不動のセッター・竹下佳江選手だ。
竹下選手は、苦しむ木村選手の助けになればと、1対1で語る場を設ける。そこで、涙を流しながら、“チームのために”頑なに目標達成を貫こうとする木村選手に、「沙織(木村選手)がいないと日本代表チームは成り立たない」「沙織が生き生きバレーしていることが、このチームの1番だから」と告げたという。
「人前で本音を言ったりすることが得意じゃないんですね。できないことがあっても、なんとか陰で練習して、表では何でもできますという顔をしていました。でも、テンさん(竹下選手のコートネーム)には全て見せられると思えました」
主砲と司令塔が絆を深めたことで、チームの勢いもギアアップ。ロンドン五輪では、再び木村選手の笑顔がコートに咲き誇り、28年ぶりに五輪の銅メダルを獲得した。
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「キャプテン、私じゃない方がいいと思います…」日本代表主将としての“苦悩”
五輪新シーズン、キャプテンに就任した木村選手は、竹下選手の背番号“3”を引き継ぎ、後輩たちの環境づくりに邁進した。しかし、エースと主将の両立に苦しみ、チームは世界選手権7位と停滞。当時の監督である眞鍋氏に、交代を直訴したこともあったという。なかなか言葉でキャプテンシーを発揮できなかった木村選手は、チームの団結を高めるべく、ある行動を起こす。
「スタッフ、選手全員分のお守りを作ったんですよ。全員合わさると、ひとつの文章になるように。(これまでは)行動でしか伝えられなかったんですけど『この大会(リオ五輪)にみんなで懸けよう』という共通項をみんなで一つ持ちたくて、想いをこめて作りました」
『ひのとりにっぽん こころはひとつ 自分たちの力を信じて!! 絆』のメッセージが刻まれた手縫いの“お守り”。木村選手の強い想いが伝わり、チームは徐々に一体感を増していった。
崖っぷちのリオ五輪最終予選 ケガを抱えながら迎えた“運命の大一番”
2016年の五輪最終予選。木村選手は右手小指脱臼というコンディションのなか、大一番を迎えた。強豪イタリアから2セット獲得すれば、出場が決まる。苦難のなか「みんなにオリンピックに出られないって経験はさせちゃいけない」と自らを奮い立たせ、がむしゃらに点を奪取。チームトップの31得点を奪い、見事に五輪出場を決めた。
「キャプテンになってから、辛かったり、悔しかったり、うまく行かないことの方が多かったけれど、オリンピックを決めるギリギリの試合で、全部背負っていたものがなくなった。(ただの)木村沙織になってバレーをしていたように思います」
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木村選手にとって“挫折”とは、どのようなものだったか
これまでどんなに高い壁が立ち塞がっても、“挫折”だと認めてこなかった木村選手。今回、改めてキャリアを振り返り、“挫折”について語った。
「“挫折”とは、認めていいものだなと思いました。“挫折”を自分で理解して、認めてから、成長や前に進むこと、プラスになっていくことの方が大きい。まず、辛いと感じている自分を受け止めて、周りをもっと頼っていいと思います」
たゆまぬ努力と周りの支えで“挫折”を乗り越え、その先へと進んできた木村選手。現役を引退した現在も、小学生大会のアンバサダーなどバレーボールに関わる活動を続けている。
「負けて悔しかったり、勝ち切ったりする経験が大事。いろんな感情を持ちながら、一生懸命、競技をしている子どもたちを見ると、この子たちが何かで行き詰まった時にアドバイスできる自分でいたいなと思います」
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『NumberTV』 挫折地点~あのとき前を向いた理由~#14 木村沙織(2024年9月26日(木)配信)より
※記事内の情報は配信時点の情報です