植草歩の新たな旅立ち――空手からモデルへ、夢を追い続ける私のこれまでと今
空手界の「きゃりーぱみゅぱみゅ」。そのニックネームは、華やかな存在感と卓越した実力に由来する。 植草歩――彼女の名は日本のみならず、世界の空手界で広く知られている。12年間にわたってトップを走り続け、数々の栄光を手にした彼女だが、2024年9月24日、現役引退を発表。その輝かしいキャリアの裏には、誰も知り得なかった苦悩や挫折、そして自らを乗り越えてきた強さがあった。なぜ、彼女は引退を決意したのか。勝利の影に隠された苦闘の日々と、そこから得た教訓とは? 本企画「挑戦は終わらない!夢を超えて輝く、アスリートたちの第2章」では、彼女自身の言葉を通して、空手に人生を捧げた彼女の軌跡と、引退後も続く新たな挑戦を紐解いていく。
内気な少女の一歩!スイミングスクールから始まったスポーツ人生
Photographie/Kei Nagata
「私がスポーツに初めて触れたのは、3歳くらいの時。母にスイミングスクールに連れて行かれて、それが私のスポーツ人生の始まりでした。」
幼い頃の植草さんは、現在の姿からは想像もつかないほど内気な性格だった。地元のスイミングスクールではなく、母親の職場近くのスクールに通うことになり、慣れない環境に不安を感じていた。
「地元じゃなかったので、最初は友達もいなくて不安でした。姉がいないと何もできない子だったんです。」
この小さな一歩が、のちに彼女を世界の舞台へ導くとは、当時の彼女も夢にも思わなかっただろう。
そして、彼女の人生を大きく変えるもうひとつの出会いが訪れる。それが空手との出会いだった。
「これだ!」―運命の出会いが導いた空手の道
「幼馴染が空手をずっとやっていて、ある日『今日、空手に来ない?』と誘われたんです。特に興味があったわけじゃなくて、ただ何となく行ってみたんです。でも、初めてミットを打った瞬間、『これだ!』って衝撃が走ったんです。」
その瞬間、彼女の人生は一変した。彼女にとって空手はただの運動ではなく、自分を表現するための道であり、生きるための手段となった。その感覚は、まるで運命の出会いのように彼女を引きつけた。
「よく、運命の人に出会った瞬間『ビビッ』とくると言いますが、私にとってのそれは、まさに空手との出会いでした。」
空手への情熱が芽生えた植草さんは、すぐに父親に「空手をやりたい」と願い出た。しかし、その答えは想像以上に厳しいものだった。
「父に『本当に空手をやりたい』と言ったら、『黒帯までやる覚悟がないならやらせない』と言われたんです。その言葉を聞いて、私は本気でやる覚悟を決めました。」
この時から、彼女の空手人生は本格的に始まった。
予想外の成功から芽生えた自信―悔しさが育んだ「負けたくない」気持ち
空手を始めたばかりの彼女は、すぐにその勝負強さの片鱗を見せ始めた。初めての県大会に出場した際、不戦勝で勝ち上がり、ベスト8に進出したのだ。
Photographie/Kei Nagata
「正直、何が起こっているのか分かりませんでした。ただ、試合に勝たずにベスト8に残った時、『私、何か持ってるかもしれない』って思いました。」
この予想外の成功は、彼女に初めて「自信」を与えた。しかし、それは空手の厳しい現実に直面する前の短い安堵だった。彼女が全国大会や関東大会に出場するようになると、千葉県ではトップに立てても、全国の舞台では1位に届かない日々が続いた。
「全国ではなかなか勝てない時期が続きました。でも、その悔しさが私を突き動かしていくんです。『絶対に1番になりたい』という気持ちが常に心の中に芽生えました。」
その悔しさこそが彼女を強くし、次第に「絶対に負けたくない」という執念へと変わっていった。この強い想いが、後に彼女を「日本一」に押し上げる大きな原動力となる。
「私はやれる」―初めての日本一とさらなる挑戦への覚悟
積み重ねた努力が実を結び、高校時代に植草さんはついに日本一の座を手にする。高校3年生の時、彼女は国体で優勝し、自信をもってその栄光を掴んだ。この勝利が、彼女にとって初めての大きなターニングポイントとなる。
本人提供画像
「国体で優勝した時、『私はやれる』という実感が湧いてきました。それまでの私は、自分が本当に強いのか確信が持てなかったけど、この勝利で初めて『1番を目指せるんだ』と確信しました。」
その後、彼女はさらに高みを目指し、大学生としても、そして社会人としても競技に打ち込んだ。そして、社会人になってから挑んだ全日本選手権では、一年目から優勝という快挙を成し遂げる。その道のりをこう振り返る。
「大学時代は全日本で3位止まりで、いつも悔しい思いをしていました。『なぜ勝てないのか』と自問しながら、もっと自分を強くしなければと思い始めたんです。」
この時、彼女はトレーニング方法を大きく見直すことを決意した。そこで肉体面だけでなく、食事管理やメンタルケアにまで注意を払うようになった。
「ラグビーチームのトレーナーさんに相談して、フィジカルトレーニングを見直しました。『本当に日本一になりたいなら、体づくりや食事管理も徹底しなければいけない』と言われて、自分がまだ甘かったことに気づかされました。」
こうして、自分を徹底的に鍛え直し、ついに日本を代表する選手へと成長していった。
無敗の女王に訪れた初めての挫折―心が壊れた瞬間の決断
本人提供画像
そこからの快進撃は12年間にわたり続き、植草さんは次々と勝利を重ねていった。しかし、どれだけ勝ち続けても、心の中にはふとした疑問がいつも浮かんでいた。
「こんなに勝ち続けていていいのだろうか?」
試合では結果を残し続けていたものの、練習で試した新しい技術が試合で思うように発揮できない。そのもどかしさが徐々に彼女の中で積み重なり、いつしか大きなストレスとなっていった。そして、ついにその瞬間が訪れる。初めての敗北――これまで無敵だと信じていた彼女にとって、それは衝撃的な出来事だった。
Photographie/Kei Nagata
「負けた瞬間、それまで積み上げてきた自信や誇りが一気に崩れ落ち、まるで自分自身が壊れてしまったような感覚に襲われました。今までずっと勝ち続けてきたから、どうやって立ち直ればいいのか、その答えすら見つけられなくなったんです。」
これまで信じて進んできた道が突然閉ざされたかのように感じ、その後も世界大会では2位に甘んじ、勝利と敗北を繰り返す日々が続いた。
「心が壊れてしまうと、どれだけ技術や体力があっても勝てないんだと痛感しました。」
東京オリンピックを目指し再挑戦するも、心の重圧は完全に消えることはなかった。勝ち続けなければならないというプレッシャーと、自分自身への疑念。
ついに、彼女はその限界に直面する。すべてを背負い続けることに疲れ果て、心の中で何かが静かに崩れ落ちた瞬間、植草さんの脳裏に「引退」という考えが初めてよぎった。その瞬間こそ、彼女がこれまで全力で突き進んできた道に、ひとつの終わりを感じるきっかけだった。
植草歩(うえくさ・あゆみ)
1992年7月25日生まれ、千葉県出身。
8歳から空手を始め、高校3年で千葉国体で優勝し、帝京大学に進学後、大学1年で日本代表入りを果たす。2012年東アジア選手権優勝、2014年世界学生大会優勝など国内外で輝かしい実績を重ねた。2015年から全日本空手選手権で4連覇を達成し、「空手界のきゃりーぱみゅぱみゅ」と称されるように。東京五輪にも出場し、2023年の世界選手権を最後に空手道に区切りをつけ、2024年9月に引退した。168cmの長身を活かし、現在はla farfa専属モデルとして活動中。
Photo:Kei Osada