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【選手ヒストリー】諦めない心で、逆境を乗り越える!勝者も敗者も知る男ー梶谷隆幸(読売ジャイアンツ)活躍の軌跡/2024年プロ野球引退選手

島根県松江市出身の梶谷隆幸は、開星高校を経て、2006年の高校生ドラフト3巡目で横浜ベイスターズに入団。走・攻・守、三拍子揃ったプレーヤーとして活躍し、2014年には盗塁王を獲得した。2020年オフには国内FA権を行使して読売ジャイアンツに移籍。2024年に引退した。※イラスト/これ松えむ

Icône icône kinggearKING GEAR Département Editorial | 2025/01/06

4年ぶり甲子園進出に貢献!

島根県出身の梶谷は、小学4年生の時に「持田ボンバーズ」に加入し、投手と捕手として軟式野球をはじめると、サッカーや陸上とかけ持ちしながらスポーツ漬けの幼少期を過ごした。中学校に進学後は内野手に転向。中学3年生の6月に引退した後は、地元のクラブチームで練習を重ねて実力に磨きをかけていった。 その後は学業特待生として開星高校に入学し、1年生で遊撃手のレギュラーポジションを掴むも、在学中にヘルニアを経験。一時は野球を続けることが難しい状況に追い込まれたが復帰を果たした3年の夏には県大会で20打数9安打の活躍を見せ、4年ぶりとなる開星高校の甲子園進出に貢献した。

打撃不振を乗り越え、外野手転向で開花

2006年の高校生ドラフト3巡目で、横浜ベイスターズ(当時)に入団した梶谷は、2年目の2008年にイースタン・リーグのレギュラーに定着し、84試合に出場。打率.250、19打点、14盗塁という成績を残して存在感を示すも、一軍昇格にはならなかった。翌2009年4月9日の読売ジャイアンツ戦で、二塁の守備要員としての初出場を果たすと、先発で出場した4月22日の東京ヤクルト戦(神宮)では、1安打1盗塁の活躍。4月30日の阪神戦では初本塁打も記録し、一軍で22試合に出場した。

2010年は一軍の出場機会は5試合にとどまったものの、イースタン・リーグでは33盗塁で盗塁王を獲得した。2012年に横浜DeNAベイスターズに生まれ変わったチームは、指揮官に中畑清を迎え入れた。梶谷は機動力を活かすチーム方針もあり、オープン戦で17試合に出場。打率.347、13盗塁の好成績で存在感を示すと、阪神との開幕戦で1番遊撃手として起用。オープン戦と同様に核弾頭としての活躍が期待されるも、打率1割台と結果を残せず、深刻な打撃不振を経験。80試合に出場し、打率.179と一軍の壁に苦しむこととなった。

2013年は、一軍メンバー入りを果たすも、守備走塁面でのミスや右足首の負傷を経験。二軍で調整を終えた8月に戦線復帰を果たすと、打率.407(81打数33安打)、8本塁打、22打点と活躍。シーズン77試合に出場し、打率.346、7盗塁、チーム2位の16本塁打を記録し、才能開花の兆しを覗かせた。

遊撃手から外野手に転向し、背番号を3番に変更した2014年は、開幕から3番を任されると142試合に出場。39盗塁で盗塁王のタイトルを獲得した。2015年は3番右翼手として起用され、前半戦は首位を走ったチームに貢献。7月にはファン投票で自身初のオールスターゲーム出場も果たし、第2戦では敢闘賞を獲得した。後半戦はチームの勢いが失速したが、この年は134試合に出場し、打率.275、13本塁打、28盗塁を記録。リーグトップの得点圏打率.352を記録した勝負強さも光った。2016年にはアレックス・ラミレス氏が新監督に就任。キャンプ中の故障により、一軍戦の初出場は5月までもつれたが、以後は右翼手として起用され、自己最多の18本塁打を放ち、チームを史上初のクライマックスシリーズ進出に導いた。Thumb 18 e6a2b6e8b0b7e99a86e5b9b8

試練を経て輝いた瞬間、梶谷が見せた逆転の力

クライマックスシリーズでは、第3戦に死球を受けて左手薬指を骨折したが、続くセカンドステージの広島カープ戦にも出場を果たし、チーム唯一の勝利に貢献した。2017年はラミレス監督の起用方針により、梶谷はさまざまな打順で起用されることになった。137試合の出場に出場し、打率.243、21本塁打・21盗塁の成績だったが、リーグ最多の157三振を記録するなど、確実性には課題も見受けられた。ポストシリーズでは、阪神とのCSファーストステージで、打率.538(13打数7安打)の活躍。広島とのファイナルステージでは、第5戦で2ラン本塁打を放つなど日本シリーズ進出に貢献した。日本シリーズでは第2戦にソロ本塁打を放つも、日本一に向けて後がない日本シリーズ第6戦では、延長11回に梶谷の本塁への悪送球により決勝点を献上。サヨナラ負けを喫し、シリーズ制覇は逃した。

2018年は右肩の状態が思わしくなかったことから、シーズンの開幕を二軍で迎えた。6月にはネフタリ・ソトとの1、2番コンビで打線を支えたが、6月には腰痛により再び登録を抹消。一軍復帰後の8月1日の対巨人戦では、死球を受けて右手を骨折。3度目の抹消期間中に右肩のクリーニング手術も経験するなど、この年はわずか41試合の出場に終わり、打率.268、8本塁打、18打点、5盗塁の成績だった。

右肩の手術から復帰した2019年は、開幕戦に「1番・中堅手」としてスタメンに起用されるも、打撃不振に苦しみ5月に二軍降格を経験することに。8月に一軍へ復帰し、9月19日の対広島戦で一軍公式戦通算100号本塁打を放つなど存在感は示したが、前年と同様に41試合の出場にとどまり、チームのCS進出に貢献するプレーは見せたものの、全体的には物足りないシーズンとなった。2年連続低調なシーズンを過ごした2020年は、コロナ禍の影響により6月の開幕となったが、2年連続で一軍公式戦の開幕スタメン出場を果たすと、終盤までチームメイトの佐野と首位打者争いを繰り広げる活躍を見せ、リーグ2位の打率.323、19本塁打、53打点のキャリアハイを記録した。

試練の連続から引退へ。壮絶なラストシーズン

2020年のシーズン中に取得した国内FA権を行使した梶谷は、同年12月に巨人への移籍を決断。4年契約で推定総額8億円という大規模な契約を結ぶこととなった。3月27日の古巣・横浜DeNA戦では満塁本塁打を放つ活躍を見せるも、5月23日の中日戦で太ももを負傷した影響により、登録を抹消。一時は戦線復帰を果たすも、7月10日の阪神戦で死球を受け、右第3中手骨の骨幹部を骨折。9月には腰痛も発症し、10月27日に腰椎椎間板ヘルニアの手術を受けたことが発表された。なお移籍初年度の成績は、61試合に出場し、打率.282、4本塁打、23打点だった。

実戦復帰を目指す2022年は、5月に左膝内側半月板の縫合手術を受けることとなり、公式戦への出場はなく、翌年は育成契約を結ぶことに。2年ぶりの復帰を果たした2023年は、102試合に出場。打率.275、2本塁打、19打点で存在感を示し、7月2日には通算1000試合出場も果たした。原辰徳氏に代わり、阿部慎之助新監督が就任した2024年は、3月29日に行われた阪神との阪神戦で先発出場を果たすと、右翼に飛んだ打球をダイビングキャッチで掴み取り、内野に即座に返球する好判断でダブルプレーを成立させた。5回では2ラン本塁打を放って存在感を示すも、4月3日には登録抹消を経験。5月には左膝のコンディション不良により再び一軍を離れることとなった。4年ぶりのリーグ優勝に貢献するなど、チームの勢いをもたらすプレーは見せたものの、わずか6試合の出場にとどまった梶谷は、この年限りで引退を決断。なお、2024年のリーグ優勝は、梶谷のキャリアで初の胴上げとなった。

Profil

名前:梶谷隆幸(かじたにたかゆき)
出身:島根県
生年月日:1988年8月28日
身長/体重:180cm/90kg
投打:右投げ左打ち
ポジション:外野手
ドラフト:2006年高校生ドラフト3巡目

通算成績

実働16年:1064試合 打率.270 3633打数 980安打 126本塁打 441打点 162盗塁 打率.270

獲得タイトル

2014年:盗塁王