FC町田ゼルビア“相馬勇紀”「この選手に渡れば、何かが起きる」―異端のドリブラーが貫く信念とは
まるで風をまとうように、相馬勇紀は駆ける。FC町田ゼルビアに新天地を求めてから、わずか1年。彼のスピードと鋭さは、Jリーグの風景を一変させた。だが、そんな今の姿からは想像もつかないほど、相馬の原点は素朴で、無垢だった。「ドリブルで抜くのが、ただ楽しかった」――サッカーの原点にある、"プレーの喜び"を追い続けた少年が、プロの世界で進化を遂げるまでの軌跡。“身体的エリート”ではなかったからこそ、削ぎ落とされた技術とメンタルで勝負してきた。異国での挫折と再起、1分も出場できなかった日々、トレーニングに救われた瞬間――そこには、プレーの背後にある、静かな覚悟と揺るぎない信念があった。変わらないものと、変わり続けたもの。そのすべてを背負い、相馬勇紀はいま、“何かを起こす選手”としてピッチに立っている。※トップ画像撮影/松川李香(ヒゲ企画)

「楽しい」が原点。ドリブルに魅せられた少年
「何が、サッカーにのめり込むキッカケだったんですか?」そんな問いに、相馬勇紀は少し照れくさそうに笑みを浮かべて答えた。
「うーん、やっぱり……ドリブルで相手を抜くのが楽しかったんです。あと、ゴールを決める喜び。その“純粋な楽しさ”が最初だったと思います」勝利のためでも、評価のためでもない。ただ「楽しいから」。相馬のサッカーの原点は、いたってシンプルな動機だった。現在のプレースタイル――俊敏なドリブルと相手DFを切り裂くスピード。これらの特徴は、すでに小学生の頃には芽生えていたという。
「はい、小学校の頃からほとんど変わってないですね。当時から“自分の得意なプレー”に集中してました」型にはまらない、自由な発想と技術。今の“相馬勇紀らしさ”の原点が、ここにある。多くのプロ選手が、憧れの選手を語る中で、相馬は少し違った。
「憧れていた選手って、正直いなかったですね」代わりに、彼に大きな影響を与えたのが、三菱養和というクラブの環境だった。
「“楽しむこと”をすごく大事にしていたクラブで、ドリブルや個性を大切にする指導方針だったんです。自然と、そっちのスタイルに引き寄せられていった気がします」結果ではなく、過程を楽しむ。そんなサッカーの本質に、相馬は幼少期から触れていた。
“エリート”じゃないからこそ、武器を研ぎ澄ませた
「相馬選手は、フィジカルに恵まれたタイプではないですよね?」この問いに、相馬は静かに頷いた。
「そうですね。でも、それを補おうとはあまり思わなかったんです」代わりに、彼が頼ったのは自分の“強み”を突き詰める姿勢だった。
「三菱養和では、“短所をなくす”より“長所を伸ばす”という考え方が徹底されていて。自然と、自分の武器に磨きをかける方向に進んでいきました」
足りないものを埋めるより、誰にも負けない一点を研ぎ澄ます。それが、相馬流のサバイバル術だった。いまや相馬の代名詞とも言える、鋭く、思い切りのいいドリブル。それが本当の武器になったのは、海の向こうに渡ってからだった。
「オリンピックの時は、初速の速さで勝負できていたけど、“抜ききる”まではいけなかった。でも、ポルトガルで1年くらい経った頃から、ようやく抜ききれるようになってきました」相手の重心を見抜き、次の一歩で裏を取る。そんな駆け引きを可能にしたのは、日々の激しい実戦の中で磨かれた“対応力”だった。ポルトガルのリーグでは、試合も練習も常に真剣勝負。プレッシャーの中でプレーすることが日常だった。
「レベルの高い環境に身を置くことで、自然と対応力がついてきました。サッカー選手としての“戦う感覚”が研ぎ澄まされた感じです」
「1分も出られなかった日々が、僕を変えた」
「試合前、意識していることは?」と問えば、相馬は迷わず「コンディショニング」と答えた。
「リーグ戦だと試合間隔が4日ほど。その間の体の状態が、本当に大事なんです。特に僕はスピードが武器なので、筋肉に張りがあるだけでパフォーマンスが落ちる。だから、ケアにはかなり力を入れています」チームのトレーナーによるメンテナンスに加えて、外部の施設にも通う。「ファンクション」に特化したトレーニング施設では、身体機能の最適化(PDF)を含めた“ムーブメントトレーニング”を実施。相馬の肉体は、徹底した管理と探究の積み重ねでつくられている。そんな相馬にとって、大きな転機となったのがポルトガル時代。順調にスタメン出場を重ねていた彼に、ある日突然試練が訪れる。
「監督が代わって、1ヶ月で4試合、1分も出られなかったんです」そのとき、体のコンディションも急速に悪化した。
「どうしたらまたピッチに戻れるか。フィジカルコーチと相談して、トレーニングの頻度を週1から週3に増やし、スプリントのトレーニングも取り入れました」
すると、確かな手応えが体に宿るようになった。
「気づいたんです。僕には“刺激”が必要だったんだって」試合に出られない時間を、腐らず、自らを変えるきっかけにした。その経験が、相馬の今の強さを形づくっている。
「振り返れば、あの1ヶ月がなかったら、今の自分はなかったかもしれません」不遇に見えた時間が、実は誰よりも彼を強くしていたのだ。
「何かが起きる選手になれ」――監督の一言
試合に出られない――それはアスリートにとって、否応なく突きつけられる“何かが足りない”という現実だ。
「やっぱり出られないってことは、自分に欠けているものがあるってこと。だからもう一度、自分の強みは何だったんだろうって考えました」フィジカルの再構築に取り組む傍らで、メンタル面でも大きな変化が生まれていた。復帰のきっかけとなったのは、それから4試合後。ベンチを温めた期間を経て再びピッチに立った相馬は、結果を残し始めた。そのとき、当時の監督が口にした言葉は、今でも胸に残っている。
「俺は、守備がうまくなくても、試合で“違い”を作れる選手を使いたいんだ」
「それを聞いた時、自分のプレーがどこで評価されるのか、すごく納得できました。守備も大事にしながら、ボールが渡れば“何かが起きる”と思わせる存在にならなきゃいけないんだって、心から思いましたね」自分の長所を生かし、短所に蓋をせず、それでも“違い”を生み出せる選手に。相馬勇紀はそのビジョンを、静かに、だが力強く描きはじめていた。
トレーニングで身体を、思考で精神を整えた。いま、ようやく“心技体”が噛み合い始めているという。
「やっと全部がリンクし始めた感覚です。こうやって地道に積み上げてきたものが、ようやくプレーに反映されてきた。そう感じられる今が、一番楽しいのかもしれません」
戦う場所がどこであっても、相馬勇紀の中には“信じる武器”と“揺るがない覚悟”がある。
▼試合情報
日程:5月17日(土)14:00キックオフ
対戦:柏レイソル
場所:町田GIONスタジアム
チケットは▷Ici
相馬勇紀(そうま・ゆうき)
1997年2月25日生まれ。ポジションはFW。布田SC、三菱養和調布SS、同ジュニアコースおよびSCユースを経て早稲田大学に進学。名古屋グランパス、鹿島アントラーズ、カーザ・ピアAC(ポルトガル)でプレーした後、2024年よりFC町田ゼルビアに所属。
Photo:Rika Matsukawa