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Dites au J3 Leaguer! "Je suis désolé de dire que je fais ce que j'aime chez Fujisawa Noritaka (FC Ryukyu)."

発起人KがFC琉球のスーパーバイザーだった時代に、「この選手の履歴書には思いがこもっている!」なる理由で、監督たちの意向とは関係なく(笑)獲得を決めてしまった藤澤選手の新企画がいよいよスタート!

Icône icône kinggearKING GEAR Département Editorial | 2017/05/12
はじめまして!
この度キングギアの企画に参入させて頂きます

現FC琉球に所属している「藤澤典隆」です!


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企画に参入させて頂くにあたっての動機であったり想い。

そもそもなぜ金子さんから直接依頼を受けることが出来たのか?
どこでどのような接点が?

などなどは次回以降に綴って行きたいと思います!


これから色々好き勝手に言わせてもらうにあたって

そもそもお前誰やねんって話なんで恐縮ながら簡単なエピソード含めて自己紹介します!

1988年8月23日で現28歳です。既婚犬持ち。

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ただのやんちゃ坊主。藤澤家三男坊。

生まれは京都で親の転勤で三重に引っ越し、大山田サッカースポーツ少年団に入団。

サッカーを始めたきっかけは兄が通っていた練習場にオカンと一緒に見に行ってた時に当時のコーチに

「一緒にサッカーやらんか?」

これが俺のサッカー人生の始まり。


中学は地元の陵成中学に進学

練習メニューやミーティングなどを全部自分で決めると言う独裁をひくも県大会、東海大会を制し北海道であった全国大会に出場。

しかし初戦でルーテル学院に0-10と言う歴史的大敗をくらい、数年は悪夢に悩まされる。

当時の県トレセンや東海トレセンでは金崎夢生や吉田麻也らがいて、少しでも上手くなりたい成長したいと色んなことをやりました!

その1つに

「登校タイヤ引きずり足腰鍛えてやる作戦」

普通に朝ばんばん車やバスが通ってる横の道をタイヤをロープで引きづっていた当時15歳の自分。

15歳。

恥ずかしくもなんともない。上手くなる為ならタイヤでもなんでもしてやると意気込んでた

15歳。


15歳。


その時すでにあの知らない人はいない

「久保建英」君はJ1デビュー。

恐縮ですが彼の印象も先日J3の試合にてFC東京u-23と試合したので後日書きたいと思います。


高校はサンフレッチェ広島ユースに入り

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名将森山監督の元

「気持ちには引力がある」

を元に日本一を経験。

一個上の先輩には現浦和の槙野君や柏木君らがいて、本当に槙野君は一対一絶対抜かれなかったし、柏木君は自分の中では誰よりも上手くて自分の目標でした。

大学は関西大学に進学して

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四年時にはキャプテンとして牽引し
(写真は三年時)

大学最後の夏に半月板を損傷し、走ることや飛ぶことは出来ても利き足の右足でボールを蹴ることは出来ませんでした。

手術しないと絶対によくならない。
しかしこんな左足しか使えない自分でも必要とされている。

結局知ってる人は知ってたかもしれないが誰にも言うことなく
(対戦相手にバレたらそれこそ終わるから)

残りの数ヶ月を過ごし結果インカレ日本一を獲得。

絶対プロになりたかったが、日本一獲得後自分に残ったのは絶対に手術しないとサッカーを続けれない右膝でした。

そんな騙し騙しプレイしてた自分にプロからの話があるわけもなく。

卒業後一年間無所属で手術、リハビリをこなし、数チームのJ1、J2のチームに練習参加するがプロはそんなに甘くはない。

翌年当時JFLの強豪佐川滋賀FCに入団するが、一年でチームが廃部。

その後ドイツへ渡り

4年前にFC琉球に入団しました。
入団するにあたっての話と金子さんとの出会いはまた後日綴ります!

この話は就活を控えてる人やセレクションを考えている人はもしかしたら参考になるかもしれませんので、是非!

ざっと綴りましたが大まかにこんな感じです。

これが「藤澤典隆」という人物です!

これから色々好き勝手書いていきたいと思うのでこれからよろしくお願いしますm(_ _)m