Entretien avec Shuntaro Koga (Union Saint Girois), 19 ans qui porte le maillot n°10 à Leicester et joue actuellement en Belgique "Vol.3 Pourquoi il est passé de Leicester à Zwolle aux Pays-Bas."
中学を卒業後にイングランドのレスターに入団し背番号10を付けて活躍した古賀俊太郎。その後にオランダ、ベルギーと渡り現在はベルギー2部のウニオン・サン・ジロワでプレー。まだ19歳ながら欧州を渡り歩いてきた男が語るこれまでの挑戦と今後の野望を聞いた。
Koike Kikuchi
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2018/08/20
Vol.2 d'ici
―― オランダはズヴォレというチームですね?
古賀 はい。オランダでは代理人の知り合いの家に泊まらせてもらいました。何もわからない状態で行ったんですよ。16歳の時に行ったので、向こうでいうアンダー19のチームに最初は入れられました。
そこからリザーブチームとかの練習に混ぜてもらって、結構最初の段階から欲しいって言われました。
「次のシーズンからトップチームに来て」って言われて、いきなり次のシーズンのプレシーズンからトップと合流することが決まりました。誕生日が8月27日なんで、まだその時は16歳でした。
―― レスターに比べてズヴォレのレベルはどうでした?
古賀 下がったり上がったりとかはあまり感じなかったんですけど、オランダの方が日本のサッカーに近いし、自分のサッカーにあっていたので、すんなり入れました。
―― 当時、日本でいう高2くらいの話ですよね。誕生日にプロ契約をしようとなっていたんですよね?
古賀 その前までは日本人選手がオランダに移籍しやすいような仕組みがあったみたいで、一時期はバンバンとオランダに日本人選手が移籍していたんですよね。
2017年から最低年俸のルールが復活して、そう簡単に移籍できなくなりました。オランダは外国人選手の年俸が結構高いんです。
ズヴォレもビッククラブじゃなく、僕が行く2年くらい前に1部に上がったくらいのチームなんです。かなり小さいクラブでしたし、GMもなかなか難しい人で上手く進まなかった感じです。
―― 高2の時に契約が上手くまとまらなくて、すぐにベルギー行ったんですか?
古賀 ズヴォレには結局合計1年半から2年くらいいました。そのあと昨年にベルギーに行った感じですかね。
―― スパイクはレスターの時とオランダの時はプーマだったんですか?
古賀 プーマを履き出したのはオランダに行くちょっと前くらいです。高1が終わるくらいから履き出しました。レスターの時はヴェルディの時の流れでナイキでした。
レスターは練習場も今までで一番良かったです。室内練習場もありますし、天然芝のピッチも10面くらいあるのかな。人工芝も一面が一番奥にあって、芝の質もトップと同じくらいしっかり整備されていて、凄いなって感じでした。
―― その当時は岡崎慎司選手はまだいませんでしたか?
古賀 いませんでしたね。多分入れ替わりですね。日本人は自分だけでした。
―― 第一人者という感じですか?
古賀 いや、その前に阿部勇樹選手がいました。そのときはレスターが2部だった時代ですね。
―― その後にプレミアリーグを制覇しましたもんね。
古賀 僕が行った時は2部で優勝して1部に上がったタイミングでした。その次の次の年くらいに優勝しましたね。
―― ズヴォレではオランダ語とかどうしていたんですか?基本は英語なんですか?
古賀 基本は英語です。オランダ人は結構喋れるんですよ。正直オランダ語の需要ってあんまり無いな、オランダを出て行ったら使わないなって思っちゃって、あまり勉強しませんでした。
みんな英語を喋れたので、サッカーでは問題ないですしね。オランダ語は話を聞いたら半分くらいはわかるんですけど、喋るとなると難しかったです。
―― 契約こそしてないものの、ズヴォレのトップチームの練習にずっと参加していて、そんな中ベルギーの2部に進みますがその経緯は?
古賀 オランダは最低年俸の件があるので、とりあえずベルギー・フランス方面を考えました。フランスの1部のチームに行ったりしました。
最終的にベルギー2部のチームへ行って、そこで決まった感じです。2017年の11月くらいには練習参加していました。
その後に、クラブ間で育成費の問題とかそういう話がありました。ズヴォレにも1~2年在籍していたんで。11月からずっとチームには帯同していたんですけど、サインしたのは今年の1月です。
―― ベルギー2部の今のチームの環境などはどうですか?
古賀 環境的には今までで一番悪いです。悪いっていう言い方もあれですけど。かなり上を見てしまったっていうのがあるので。カテゴリーも下がってしまったのでしょうがないですけど。
オランダもビッククラブではないけど、1部のチームでしたし。そういう意味では、今のチームが1番資金力も環境も劣ります。でもそこは今は気にしていないです。
―― 昨シーズンにデビューはしたんでしたっけ?
古賀 まだです。
―― 今シーズンに勝負をかける形ですね!
Vol.4に続く
表紙写真提供:古賀俊太郎
インタビュー写真:菊池康平
―― オランダはズヴォレというチームですね?
古賀 はい。オランダでは代理人の知り合いの家に泊まらせてもらいました。何もわからない状態で行ったんですよ。16歳の時に行ったので、向こうでいうアンダー19のチームに最初は入れられました。
そこからリザーブチームとかの練習に混ぜてもらって、結構最初の段階から欲しいって言われました。
「次のシーズンからトップチームに来て」って言われて、いきなり次のシーズンのプレシーズンからトップと合流することが決まりました。誕生日が8月27日なんで、まだその時は16歳でした。
―― レスターに比べてズヴォレのレベルはどうでした?
古賀 下がったり上がったりとかはあまり感じなかったんですけど、オランダの方が日本のサッカーに近いし、自分のサッカーにあっていたので、すんなり入れました。
―― 当時、日本でいう高2くらいの話ですよね。誕生日にプロ契約をしようとなっていたんですよね?
古賀 その前までは日本人選手がオランダに移籍しやすいような仕組みがあったみたいで、一時期はバンバンとオランダに日本人選手が移籍していたんですよね。
2017年から最低年俸のルールが復活して、そう簡単に移籍できなくなりました。オランダは外国人選手の年俸が結構高いんです。
ズヴォレもビッククラブじゃなく、僕が行く2年くらい前に1部に上がったくらいのチームなんです。かなり小さいクラブでしたし、GMもなかなか難しい人で上手く進まなかった感じです。
―― 高2の時に契約が上手くまとまらなくて、すぐにベルギー行ったんですか?
古賀 ズヴォレには結局合計1年半から2年くらいいました。そのあと昨年にベルギーに行った感じですかね。
―― スパイクはレスターの時とオランダの時はプーマだったんですか?
古賀 プーマを履き出したのはオランダに行くちょっと前くらいです。高1が終わるくらいから履き出しました。レスターの時はヴェルディの時の流れでナイキでした。
レスターは練習場も今までで一番良かったです。室内練習場もありますし、天然芝のピッチも10面くらいあるのかな。人工芝も一面が一番奥にあって、芝の質もトップと同じくらいしっかり整備されていて、凄いなって感じでした。
―― その当時は岡崎慎司選手はまだいませんでしたか?
古賀 いませんでしたね。多分入れ替わりですね。日本人は自分だけでした。
―― 第一人者という感じですか?
古賀 いや、その前に阿部勇樹選手がいました。そのときはレスターが2部だった時代ですね。
―― その後にプレミアリーグを制覇しましたもんね。
古賀 僕が行った時は2部で優勝して1部に上がったタイミングでした。その次の次の年くらいに優勝しましたね。
―― ズヴォレではオランダ語とかどうしていたんですか?基本は英語なんですか?
古賀 基本は英語です。オランダ人は結構喋れるんですよ。正直オランダ語の需要ってあんまり無いな、オランダを出て行ったら使わないなって思っちゃって、あまり勉強しませんでした。
みんな英語を喋れたので、サッカーでは問題ないですしね。オランダ語は話を聞いたら半分くらいはわかるんですけど、喋るとなると難しかったです。
―― 契約こそしてないものの、ズヴォレのトップチームの練習にずっと参加していて、そんな中ベルギーの2部に進みますがその経緯は?
古賀 オランダは最低年俸の件があるので、とりあえずベルギー・フランス方面を考えました。フランスの1部のチームに行ったりしました。
最終的にベルギー2部のチームへ行って、そこで決まった感じです。2017年の11月くらいには練習参加していました。
その後に、クラブ間で育成費の問題とかそういう話がありました。ズヴォレにも1~2年在籍していたんで。11月からずっとチームには帯同していたんですけど、サインしたのは今年の1月です。
―― ベルギー2部の今のチームの環境などはどうですか?
古賀 環境的には今までで一番悪いです。悪いっていう言い方もあれですけど。かなり上を見てしまったっていうのがあるので。カテゴリーも下がってしまったのでしょうがないですけど。
オランダもビッククラブではないけど、1部のチームでしたし。そういう意味では、今のチームが1番資金力も環境も劣ります。でもそこは今は気にしていないです。
―― 昨シーズンにデビューはしたんでしたっけ?
古賀 まだです。
―― 今シーズンに勝負をかける形ですね!
Vol.4に続く
表紙写真提供:古賀俊太郎
インタビュー写真:菊池康平