Idempot propre du fondateur K de K 3 "Adidas vierge, désespérée! Spikes d'argent secouant la détermination"
何より、雨に濡れたグラウンドで使われた時の、あの金属感というか、 メタリックな輝きがたまらない──ヘヴィメタルを長く愛してきた者としては。
Or Daren
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2016/07/11
その日によって気分は変わる。なので、答えが変わることもある。
あるのだが、ポルトガルがウェールズを下した日本時間7月7日の朝現在、
わたしにとって「大好きな映画ベスト5」は以下の通りである。
1位・アマデウス。2位・大脱走。3位・スティング。4位・レオン。5位・男たちの挽歌。
いつもの場合、1位には大脱走が納まることが多いのだが、今日の気分はアマデウスである。
なぜアマデウスかというと、「音楽の道で生きて行けるのならば、わたしは一生童貞を守ります」と
神に誓いながら、何回かグラグラしてしまうアントニオ・サリエリの姿に、たまらなくシンパシーを覚えてしまうからである。
わたしが初めてグラついたのは、中一の時だった。 目にした瞬間の衝撃は、いまも鮮烈に覚えている。
サッカーマガジンの表紙。平たくいうと広告が掲載されてる裏表紙。
最初はダダかと思った。ウルトラマンに出てきた三面怪獣ダダ。白と黒。そして赤。
サッカーマガジンを見てダダ。後にも先にもそんな連想をさせられたことはない。
それぐらい、衝撃的な絵面だった。
ワールドカップ78。アディダスが満を持して発売した世界初の2色ソールを持った取り替え式スパイク。
弾力性に富んだ黒いソールと、剛性を持つ白いソールを組み合わせそこに赤いスタッドを装着するという
前代未聞の一足だった。
凄かったのはソールだけではない。カンガルーの1枚革で仕上げられたアッパー部分は、
なんと、バックスキンになっていた。サッカースパイクなのにバックスキン?ありえん!
こらスパイク界のランボルギーニ・カウンタックや。マジでそう思った。
残念ながら、実際に日本で発売された時にはバックスキンではなく通常の仕上げになってしまっていた。
日本リーグであってもボコボコのグラウンドが珍しくなかった当時の日本では、最高の芝生の上での
プレーを前提とされたバックスキンはそぐわなかったのだろう。
なんにせよ、カウンタックに憧れないクルマ好き男子がほぼいなかったように、ワールドカップ78に
憧れないサッカー小僧もまずいなかった。そして、それは熱烈なプーマー(プーマ愛好家)の道を
歩みつつあったカネコタツヒトも例外ではなかった。
わたしにとって幸いだったのは、このワールドカップ78、お値段が2万5千円と、とてつもなく
お高かったということである。これを買ってくれとサラリーマンである父親に頼むことは、
家にあるカローラをカウンタックに買い換えてくれと言うに等しい。かくして、初めて芽生えた
アディダスへの憧憬は、あっさりと却下された。
以来、アディダス断ちの誓いは、現在に至るまで堅持されてきた。
カズだってフットサルの時はアディダスのシューズに足を通したが、わたしはずっとサリエリだった。
アディダス童貞を守り続けてきた。
が、ここにきて生涯最大のピンチが訪れようとしている。絶体絶命である。
どれぐらい絶体絶命かというと、ディレクターズ・カット版で復活した、ダンナである
アマデウス・モーツァルトの経済的苦境を救うべく、妻のコンスタンツィアが権力者
でもあるサリエリの一夜妻になることを承諾してきた場面ぐらいの絶体絶命である。
銀のアディダス、かっこいい。猛烈にかっこいい。
ユーザーの目を惹きつけるべく、いろんなカラーリングを考えている各メーカーさんには申し訳ないが、
わたくしカネコタツヒト、いわゆるカラー・スパイクにはまるで興味をそそられない。
いや、それが好きだという人がいるのはわかるし、否定するつもりはさらさらないが、
ただ、欲しいとはまったく思わない。プーマが左右色違いのエヴォ・シリーズを出してきた時は、
「何かの罰ゲームですか?」とまで思った。
でも、銀はいい。 黒革のスパイクに比べれば、もちろん華はある。
でも、毒々しさは皆無で、どちらかと言えばモノトーンの奥ゆかしさみたいなところもある。
何より、雨に濡れたグラウンドで使われた時の、あの金属感というか、
メタリックな輝きがたまらない──ヘヴィメタルを長く愛してきた者としては。
メッシ。エース。エックス。見たところ、アディダスは3モデルで銀のスパイクを出したようだが、
個人的にはメッシ16・1に猛烈に惹かれる。やばい。マジで欲しい。お値段2万4500円。
安くはないが、今のわたしは中学生ではない。 アディダス童貞、絶体絶命。
サリエリは辛くも純潔を守ったが、果たしてわたしはどうなるか。
てか、なんでこういうスパイクをプーマは出さんかなあ。
何年か前、ニュルンベルク郊外ヘルツォーゲンナウラッハにあるプーマ本社のアウトレットに行った時、
プーマがまだルドルフ・ダスラー・シューファブリークだった頃の復刻版シューズを見つけ、
一も二もなく買ってしまったことがある。 銀のブーツなのよ、これが。
あるのだが、ポルトガルがウェールズを下した日本時間7月7日の朝現在、
わたしにとって「大好きな映画ベスト5」は以下の通りである。
1位・アマデウス。2位・大脱走。3位・スティング。4位・レオン。5位・男たちの挽歌。
いつもの場合、1位には大脱走が納まることが多いのだが、今日の気分はアマデウスである。
なぜアマデウスかというと、「音楽の道で生きて行けるのならば、わたしは一生童貞を守ります」と
神に誓いながら、何回かグラグラしてしまうアントニオ・サリエリの姿に、たまらなくシンパシーを覚えてしまうからである。
わたしが初めてグラついたのは、中一の時だった。 目にした瞬間の衝撃は、いまも鮮烈に覚えている。
サッカーマガジンの表紙。平たくいうと広告が掲載されてる裏表紙。
最初はダダかと思った。ウルトラマンに出てきた三面怪獣ダダ。白と黒。そして赤。
サッカーマガジンを見てダダ。後にも先にもそんな連想をさせられたことはない。
それぐらい、衝撃的な絵面だった。
ワールドカップ78。アディダスが満を持して発売した世界初の2色ソールを持った取り替え式スパイク。
弾力性に富んだ黒いソールと、剛性を持つ白いソールを組み合わせそこに赤いスタッドを装着するという
前代未聞の一足だった。
凄かったのはソールだけではない。カンガルーの1枚革で仕上げられたアッパー部分は、
なんと、バックスキンになっていた。サッカースパイクなのにバックスキン?ありえん!
こらスパイク界のランボルギーニ・カウンタックや。マジでそう思った。
残念ながら、実際に日本で発売された時にはバックスキンではなく通常の仕上げになってしまっていた。
日本リーグであってもボコボコのグラウンドが珍しくなかった当時の日本では、最高の芝生の上での
プレーを前提とされたバックスキンはそぐわなかったのだろう。
なんにせよ、カウンタックに憧れないクルマ好き男子がほぼいなかったように、ワールドカップ78に
憧れないサッカー小僧もまずいなかった。そして、それは熱烈なプーマー(プーマ愛好家)の道を
歩みつつあったカネコタツヒトも例外ではなかった。
わたしにとって幸いだったのは、このワールドカップ78、お値段が2万5千円と、とてつもなく
お高かったということである。これを買ってくれとサラリーマンである父親に頼むことは、
家にあるカローラをカウンタックに買い換えてくれと言うに等しい。かくして、初めて芽生えた
アディダスへの憧憬は、あっさりと却下された。
以来、アディダス断ちの誓いは、現在に至るまで堅持されてきた。
カズだってフットサルの時はアディダスのシューズに足を通したが、わたしはずっとサリエリだった。
アディダス童貞を守り続けてきた。
が、ここにきて生涯最大のピンチが訪れようとしている。絶体絶命である。
どれぐらい絶体絶命かというと、ディレクターズ・カット版で復活した、ダンナである
アマデウス・モーツァルトの経済的苦境を救うべく、妻のコンスタンツィアが権力者
でもあるサリエリの一夜妻になることを承諾してきた場面ぐらいの絶体絶命である。
銀のアディダス、かっこいい。猛烈にかっこいい。
ユーザーの目を惹きつけるべく、いろんなカラーリングを考えている各メーカーさんには申し訳ないが、
わたくしカネコタツヒト、いわゆるカラー・スパイクにはまるで興味をそそられない。
いや、それが好きだという人がいるのはわかるし、否定するつもりはさらさらないが、
ただ、欲しいとはまったく思わない。プーマが左右色違いのエヴォ・シリーズを出してきた時は、
「何かの罰ゲームですか?」とまで思った。
でも、銀はいい。 黒革のスパイクに比べれば、もちろん華はある。
でも、毒々しさは皆無で、どちらかと言えばモノトーンの奥ゆかしさみたいなところもある。
何より、雨に濡れたグラウンドで使われた時の、あの金属感というか、
メタリックな輝きがたまらない──ヘヴィメタルを長く愛してきた者としては。
メッシ。エース。エックス。見たところ、アディダスは3モデルで銀のスパイクを出したようだが、
個人的にはメッシ16・1に猛烈に惹かれる。やばい。マジで欲しい。お値段2万4500円。
安くはないが、今のわたしは中学生ではない。 アディダス童貞、絶体絶命。
サリエリは辛くも純潔を守ったが、果たしてわたしはどうなるか。
てか、なんでこういうスパイクをプーマは出さんかなあ。
何年か前、ニュルンベルク郊外ヘルツォーゲンナウラッハにあるプーマ本社のアウトレットに行った時、
プーマがまだルドルフ・ダスラー・シューファブリークだった頃の復刻版シューズを見つけ、
一も二もなく買ってしまったことがある。 銀のブーツなのよ、これが。