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Des pointes historiques appréciées des héros VOL.37 "Dieu modèle de la Coupe du monde italienne de 1990"

平成の始まりとほぼ時を同じくして、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一されました。その少し前に西ドイツのプーマ社はサッカースパイクの大きなデザイン変更を行いました。90年に行われたイタリアW杯では、前回大会優勝国アルゼンチンの神はプーマニューモデルのディテールを変更した特別仕様スパイクを履いて活躍されました。

Icône 29634314 1815368455432881 1085668874 oHiroaki Konishi | 2019/05/01
令和一発目の話題が平成開始当初のことで恐縮ですが、新たな時代の始まりには、やはりキング・マラドーナ様のスパイクについて語らせていただきます。 

昭和時代の神のスパイクについては平成の間に語りつくしたつもりですが、平成が始まった頃のサッカーマガジン90年3月号にイタリアとの親善試合(89年12月開催)で、従来デザインのプーマスパイクを使われているアルゼンチン代表の神が表紙に載っています(図1左)。
 

このモデルのベースは「KING」(Iciをご覧ください
)ですが、ソールは79年頃からあるパターンの黒白2色タイプで、ナポリでも愛用されていました。


イタリアでは、この実使用スパイクをお持ちのコレクターが何人かおられるようで、その方々の(うらやましい)画像を見ますと、側面には「DIEGO MARADONA」と表示されていますので、神の特注品だと思います。
少なくとも日本ではこれと同モデルは市販されなかったと思います。

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Figure 1 平成の始まりの頃のサッカー雑誌には「2002年ワールドカップ日本開催!?」というお題があります。プロ化前の日本では世界のサッカーがまだまだ遠い時代でした。

アルゼンチンのルコックユニフォームも、この頃が最後だったようです。右はイタリアのコレクターの方々の神実使用スパイク。右上はIci
からの引用で、86Année W杯のベルギー戦のものと説明がありますが、多分違うと思います。各W杯の神の使用スパイクはIciにまとめています。


個人的に好きな西ドイツモデルが生産されたのはこの頃までで、おそらく89年後半にプーマ社はサッカースパイクにおいて大きなモデルチェンジを行いました。 

フラッグシップモデルは取替え式、固定式共通のアッパーで、ギリギリ西ドイツ時代であったので、「Made in West-Germany」の表示がありました。 これらのモデルは基本的に現在も同じスタイルを保ち、海外では「KING」として生産され続けています。
   
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Figure 2 細かい仕様については別の回で書かせていただく予定ですが、アッパーは図1のような従来品とはまったくの別物になってしまいました。  

90年W杯は衛星放送が始まり、日本でも全試合放送されました。私もそれなりに熱心に見ていたつもりですが、この大会の神のスパイクについてはプーマだったことぐらいしか知りませんでした。

しかし、昔のスパイク収集を始めてから、改めて調べだすと興味深いことがいろいろわかりました。
まず、開幕戦のカメルーン戦ですが、図3のような(おそらく)特注取替え式モデルをご使用でした。ソールは図2左の通常のフレックスソールと異なり、図1のモデルと同じ従来の黒白2色ソールです(巻頭写真もご参照下さい)。 

写真家・清水さんの素晴らしく鮮明な巻頭写真では、プーマラインに「Diego」の表示があるのがわかります。 

この大会では、ベルギーやイングランドのエース、クーレマンス選手、ガスコイン選手ですら、図2のモデルをお使いで、かかとの緑ラインが入った特別なモデルは神のみが履いていました。 
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Figure 3 カメルーン戦の神のスパイク。  

前回優勝国のアルゼンチンは開幕戦でカメルーンに不覚をとり、次戦のソ連戦では必勝を期して臨みましたが、なぜか神は開幕戦のスパイクとは違うモデルを履いていました(図4)。アッパーは図2と似ていますが、ソールは従来のパターンでした。  

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Figure 4 ソ連戦の神のスパイク  

ソ連戦に勝利した勢いか、次のルーマニア戦でもソ連戦と同じモデルを試合開始から使っていましたが、多分、後半は初戦と同じ緑ライン入りのモデルに履きかえられたようです(図5)。

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 La figure ルーマニア戦の神のスパイク。試合開始及び前半(左2枚)はソ連戦と同じモデルを履いていましたが、コーナーキックからゴールをアシストした後半(右)は初戦(図3)と同じモデルでした。  

何とか予選リーグを突破したアルゼンチンは決勝トーナメント1回戦でブラジルと対戦しました。圧倒的劣勢の中、神のドリブル突破からカニーヒア選手へのアシストが有名ですが、その時は開幕戦と同じスパイクでした。しかし、前半はソ連戦モデルだったようです(図6)。   

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Fig. 6 ブラジル戦の神のスパイク。ルーマニア戦と同じく、前半(右)と後半(左)でスパイクを変更していたようです。  

ベスト8では日本でもおなじみオシム監督率いるユーゴスラビアと対戦しました。自身初のW杯だったストイコビッチ選手らの活躍で、アルゼンチンはこの試合も苦戦しましたが、PK戦で辛勝しました。

この試合で神は、この大会唯一黒いシュータンのモデルを履いていました。ソールはこれまでのモデルと同じでした(図7)。
 

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 La figure ユーゴスラビア戦の神のスパイク。開幕戦と同じ仕様でかかとに緑ラインがありますが、シュータンが黒く、PUMAの文字やマークは緑色表示です。
なぜかストッキングがユニフォームと同じアディダスではなく、ナポリのユニフォームのメーカーだったエネーレ製で、はじめはマークを隠していたようです(中央)。お忘れになったんでしょうか?
  

ユーゴ戦のスパイクはそれ以降の決勝トーナメント専用だったかもしれませんが、PK戦で神はまさかの失敗をしてしまい、縁起が悪かったのか準決勝(イタリア戦)、決勝(西ドイツ戦)は開幕戦と同じモデルを使われました。多分、履き替えもしなかったと思います(図8、9)。

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La figure 準決勝イタリア戦の神のスパイク。   

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Figure 9 決勝西ドイツ戦の神のスパイク。
結局、この大会では3種類の取替え式モデルを使用し、固定式モデルは履かれませんでしたが、大会期間中の練習では、ご自身専用の固定式モデルを試されていたようです(図10)。   

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Figure 1090Année W杯期間中に固定式モデルを履いて練習する神。ソールは図2右と同じタイプですが、アッパーは特別仕様で、シュータンがかなり派手です。

右はコレクターがお持ちの、この時のスパイクのようで、ソールは劣化してなくなっているようです。
Figure 1と同じくIciからの引用で、このスパイクは準決勝イタリア戦のものと書かれていますが、こちらも多分間違いだと思います。  

以上が90年W杯の神のスパイクについてですが、残念ながら同じような仕様のスパイクは国内で市販されなかったようです。一説によるとソ連戦のスパイクはアルゼンチンの神のご自宅にあるそうで、この大会のスパイクの多くはご自身が今も保管しているのではないかと思われます。 

トレシューは似たようなモデルがあり(図11)、かかとの緑ラインや、シュータンは図10のモデルに似ています。 もしかしたら、海外ではこのタイプのスパイクも販売されていたかもしれません。   

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Figure 11 図10のモデルに似たトレシュー。
あまり格好いいとは思いませんが、90
年大会の神のスパイクに似ている唯一の製品かもしれません。
  

この大会のアディダス、その他の選手のプーマスパイクについてはいずれご紹介したいと思います。  
(写真は当時のサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン、アフロ、ゲッティイメージズなどより引用)   

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Une revue des superstars du monde du football qui a produit de nombreuses légendes dans les années 80.
                  


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