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【インタビュー】中川絵美里さん中編 ヴィーナスからの卒業と取材者として積み重ねた日々「みなさんの苦悩を知ることができた」

スポーツを中心にキャスターとして活躍する中川絵美里さん。今回はKING GEARがこれまでのスポーツ遍歴と今に至るまでの道のりについて独占インタビューを実施した。中編では3年間にわたり活動した巨人のチア「ヴィーナス」卒業に至るまでの想いと、そこから踏み出したキャスターとしての新たな一歩とスポーツの現場で奮闘するなかで感じた気持ちについて語ってもらった。※トップ画像:撮影/黒木早紀子

Icône 30716468 1048529728619366 8600243217885036544 nYoshitaka Imoto | 29/07/2024

磨いたMC力で踏み出した一歩


ーーヴィーナスの1年目は慣れる期間で大変だったと思いますが、2、3年とやるにつれて感じた手応えはありましたか?

2年目からは自分の知識だったりMC力というのを買っていただいて合格させてもらっていたので、そういうところで任されることも大きかったですし、それがどんどん自分の自信になっていきました。

それまで新聞も家でパラパラ読んでいましたけど、そこまで熟読していたわけではなかったので、その期間(スポーツ記事の)スクラップも日課になっていましたし、各局のスポーツニュースを全部録画して特集をくまなくチェックするようにして、そういったことが自分の知識にもなりましたし、より愛が深まるきっかけにもなりました。

ーー卒業後にもYouTubeでヴィーナスを取材されたりしていますね。ヴィーナスのことは今でも気にかけていますか?

もちろん自分にとって原点だと思っていますし、ヴィーナスで3年間活動して感じたのは、本当に素晴らしい場所だったということです。

右も左も分からないまま入って礼儀も学びましたし、一生の仲間もできて、宝のような経験をたくさんさせていただきました。でも一歩外に出ると、球団のチアの方って「球場で踊っている子たち」という認識しかなかったんです。

そういうもどかしさも感じていて、本当はツアーのアテンドや社会貢献活動をしたり、これだけ野球界に愛や責任を持っていろんな活動をしているのに、それを知ってもらえていない悔しさがあるなというのも3年で辞めて自分が外にでた理由の一つでした。

今は私がいたころよりどんどん活動の幅も広がって、認知も広がっているので、それはすごく嬉しいことだなと思っています。

ーーそこからキャスターへの転身は何か考えるきっかけはありましたか?

もどかしい感情もありつつ、いれることならここに10年でもいたいというのは思っていたんですよ。ただ、毎年オーディションを経るなかで入れ替えも激しいし、10年いれるかどうかも分からないというところで、満足に自分が5年くらいできて終えるとしても18歳から始めたので22、3歳くらいになってしまう。

一般的な社会人1、2年目の年齢になって次どうするかと考えるより、まだその時は20歳だったので、今新しいことに挑戦した方が可能性が広がるんじゃないかという勘がありました。

じゃあ何ができるか?と考えた時に、この3年で磨いたMCをどうにか活かせる道はないかなと感じて。ちょうどそのタイミングで今女子野球の監督をやられている(元巨人投手の)宮本和知さんとステージでご一緒することがありまして。私はもちろん幼いころから『ズームイン!!サタデー』を見ていたので、宮本さんとモッチーさん(望月理恵さん)の大ファンだったんですけど。

宮本さんから「これだけ喋れるんだったら芸能界の道に入った方がいいよ!」と言っていただいて、その時に初めてモッチーさんともイベントでご一緒して、「これが私がずっと見ていたモッチーさんだ」と思って。

宮本さんから「モッチーのいるセント・フォースはいい事務所だよ」と言っていただいて、そこで私は初めてセント・フォースという事務所があることを知ったんです。じゃあそこに応募してみようと思ったのがきっかけです。

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画像 /(C)読売巨人軍

Jリーグ番組を担当して各地を取材


ーー最初に入ってからやったメインの仕事は何になりますか?

1番最初に受けたオーディションがスカパー!の『Jリーグマッチデーハイライト』。奇跡的に決まって、それが初めての仕事でしたね。

ーー地元のエスパルスがあったと思いますが、Jリーグはそれまでは継続的に観ていましたか?

基本的にはエスパルスを追っていて、全体は詳しく知らなかったのですが、番組に加入して、MCの平畠啓史さんの姿勢と熱いスタッフさんたちに恵まれて、そこからJリーグ全体のこともすごく勉強しました。その流れでサッカーの4級審判の資格も取りました。

ーーNHK BSの『Jリーグタイム』はどのタイミングで入られましたか?

『マッチデーハイライト』をやっていて1年でスカパー!がJリーグの放映権を手放すタイミングで、それと同時に番組も終わってしまったんです。番組が終わるタイミングでJリーグタイムのオーディションがあるということを聞いて。そこでオーディションを受けて受かったという感じです。

ーー『Jリーグタイム』はJリーグやサッカーを好きな人が観る番組で自分も子どものころに観ていました。番組に入ってみてどうでしたか?

いろんなところに取材に行かせていただくことが多くて、取材に行くとスタジアムにいるたくさんのサポーターの皆さんが「Jリーグタイムだ!」と声をかけてくれて。選手のみなさんからも試合後のバスでみんなで観てるよとか、宿舎で観ているというお話を聞いて、業界のなかの認知度もものすごいんだなというのはやっていて感じました。

ーー取材に行ってみてこのチーム、選手が印象的というのはありましたか?

それぞれにあるんですけど、Jリーグの醍醐味だなというのを感じたのは、取材当時J2を戦っていたアビスパ福岡の取材に行った時です。

アビスパを創設時から応援している方にインタビューして、練習場も公開してる時はほぼ毎日行っているし、試合もアウェイも全部来ているんだよと仰っていて。

選手たちが息子じゃないですけど、それくらいになって応援しているというのを聞いた時に、私自身もJリーグが当たり前にある街で育ちましたけど、日本各地域にそういうチームがあって、地域全体でチームを盛り上げていくという一体感があるのがJリーグのいいところだなと思って。それを改めて感じられたという意味でも印象的に残っています。

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撮影/黒木早紀子

ファンの鏡・平畠さんの背中で学んだ姿勢


ーー世界各国にさまざまなリーグがあるなかでもJリーグはローカルに特化したリーグだと思いますか?

それはすごく感じます。スタジアムグルメも地域の名産だったり、駅からスタジアムまでの道のりも個性があって。本当に街と一体になるからできる雰囲気だと思うので、先日も広島の新スタジアム(エディオンピースウィング広島)に行ってきたんですけど、広島だからこそできるスタジアムのコンセプトや魅力が詰まっていました。

ーー実際に取材現場に出られて選手や関係者の方と接する経験は中川さんにとってどうでしたか?

プロフェッショナルなみなさんに直接お話を聞ける機会というのは本当に限られてると思いますが、プレー以外の素晴らしい人間性も見ることができました。みなさんの想いを伺って、全チームですけどインタビューするとより思い入れも強くなるじゃないですか。

限られているキャリアのなかであれだけ日々もがいて苦労して輝いている選手の皆さんの様々な一面をお伝えすべき立場だと思っているので、いかに視聴者のみなさんにしっかりとお伝えできるかという責任感もインタビューを経るごとに増していきました。

ーー取材者として誰か参考にした人とかはいますか?

Jリーグのなかでいうと1番最初にお世話になった平畠さんがファンの代表、ファンの鑑みたいな方だったんですよ。平畠さんは本当にサッカーが大好きですし、サポーターの皆さんが共感できて、選手の良さも引き出せるMCで。

例えば番組中も、マッチデー(ハイライト)は速報だったのでどうしてもスタッフのみなさんの並びのミスだったり選手名のミスだったりが出てくる時があって。けれど、そこもさりげなく気づいて「ここ〇〇選手ですよね」みたいな訂正にもならない訂正をやられていて。

観ているファンのみなさんは基本、「自分のチームがいつ番組に出てくるんだ?」と思って観ていると思うので、そこで間違っていると悲しい気持ちになってしまうと思うんです。そういうところをさらっと直せる。それって普段からサポーターの皆さんの気持ちも汲んで、観ているからこそわかる進行の仕方だなと思うので、こういう人に私もなりたいと思いました。

ーー平畠さんから何か言われたというよりは、姿勢とか背中を見てこうやっていこうと思いましたか?

そうですね。平畠さんは聞いても基本いつも「中川は大丈夫!」って仰ってくれたタイプの方なので、本当に見て盗むという感じでした。ただ本当にいつ寝ているんだというくらいJ1からJ3まで全部観られているのを知っていたので、やっぱりこういう姿勢が視聴者のみなさんからもスタッフのみなさんからも信頼につながると思えたことが大きかったです。

ーー『Jリーグタイム』と並行して日本テレビ『Oha!4 NEWS LIVE』のキャスターとして巨人も取材されていた感じですか?

そうですね。その時は報知(新聞)でもコラムを持たせてもらっていたので、その取材でも行ってました。

ーーサッカー、野球含めて、スポーツの取材者になりたい希望はもともとあったんですか?

それを思ったタイミングがヴィーナス3年目の時に今後どうしていこうかなと思った時でした。スポーツのキャスターか、新聞に魅了されていたので、記者の皆さんにも憧れていて。その時可能性があるのはキャスターかなと思ったので、キャスターの道に入ったんです。

けれどずっと憧れはあったので、それを報知の方ともお話するたびに伝えていて、その経緯もあってコラムのオファーもいただけたので、すごく嬉しかったです。

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撮影/黒木早紀子