Le joueur professionnel de tennis soft Yuta Funamizu révèle la vérité derrière sa décision de jouer au pickleball en "dual" : "Je dois apprendre de nouvelles techniques et repousser mes limites."
国内のソフトテニス界を変えるべく、2020年からプロとして競技の普及・発展に努めている船水雄太。だが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、プロ転向からおよそ2年間、国内外でのソフトテニス大会に出場することができず、選手活動がままならない状態が続いていた。その中で、アメリカでここ数年一気に人気と競技人口が急増しているスポーツ「ピックルボール」と出会い、ソフトテニスとの“二刀流”でトッププロを目指すことを決意。その理由はなんなのか。新たな挑戦に挑むまでの道のりを追った。※メイン画像:撮影 / 長田慶
Principal Sato
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2024/07/26
世界で爆発的な成長を遂げている競技「ピックルボール」とは?
Photographie/Kei Nagata
ーーピックルボールを知るまでの経緯を教えてください。コロナ禍の影響で国内外のソフトテニスの大会が中止となり、選手活動ができないことを打ち明けたら、「ピックルボールという、アメリカでいま大流行しているスポーツがあるから、少しやってみない?」と勧められたんです。
さらに「メジャーリーグ・ピックルボール(MLP)」というプロリーグまであって、しかも南さんはMLPのマイアミにあるチームの部分オーナーでもあると。僕はピックルボールの存在を知らなかったのですが、ソフトテニスに近い競技だということもあり、俄然興味が湧いてきたんです。
その後、日本ピックルボール協会に連絡して、当時の日本チャンピオンからインストラクターとして教わることになりました。実際にやってみると、すごくソフトテニスに似通っている部分があって、自分の中でけっこうアジャストできた感覚がありました。その日本チャンピオンと実践形式で何度か試合もさせてもらったんですけど、いい内容でプレーできて、勝てた試合もあったので、このまま続けていけばいけるんじゃないかと、手応えを感じたんです。
テニス、卓球、バドミントンの要素を組み合わせたようなラケット競技で、ラリーがしやすいこともあり、アメリカを中心に幅広い年齢層から人気を集めているスポーツです。バドミントンコートと同じ大きさのコートを使用し、テニスより少し低いぐらいのセンターネットを挟んで打ち合います。
ーーそもそもピックルボールはどのような競技なんですか?
地面はテニスのハードコートを使うことが多いのですが、それ以外でも体育館やアスファルトなど、下が固くて平らであればプレーすることが可能です。屋内外、バドミントンコートぐらいのスペースとピックルボールに適した地面さえあれば、どこでも遊べますよ。
そうですね。外の天候に左右されずに体育館で手軽にラケット競技ができるので、相性はいいと思います。中学や高校の先生に、ソフトテニス経験者の知り合いがたくさんいるんですけど、みんな「ピックルボールを授業でやりたい」と言っていました。それぐらい教育的な部分でも注目されているんです。
ラケットは「パドル」と呼ばれる、卓球のラケットより少し大きいサイズのものを使います。表面素材はカーボンファイバー、グラファイト、グラスファイバーがあり、それぞれ軽さや硬さ、打球感などが違います。
ーー学校で体育の授業などにも取り入れやすそうですね。
Photographie/Kei Nagata
ーーラケットはどのような形状のものを使っているんですか?パドルのメーカーは800社以上あって、いまもどんどん増え続けているんです。なかにはテニスとバドミントンのラケットを作っている「ヨネックス」や、ドイツの卓球メーカーの「JOORA」もパドルを製造していて、後者においてはアメリカではピックルボールのトップブランドとして認知されているんです。
そうなんです。それこそいまの世界チャンピオンは、卓球競技からピックルボールに転向した選手なんですよ。ほかにもテニスやバドミントン、バレーボールなどの競技から転向して活躍する選手も多いんです。その理由としては、それぞれの競技性を生かしたプレーができる、というところにあります。
ーーいろんなラケット競技のメーカーが参入しているんですね。実際に船水選手のパドルを持たせていただきましたが、卓球ラケットより少し大きいけど、かなり軽い印象です。
たとえば卓球競技出身だと、ラケットの面をかぶせてこすり上げるドライブのような打ち方をするので、回転をかけて返球することができます。バドミントンをしていた人ならスマッシュのパワーが凄かったり、バレーボールから移ってきた選手は身長や手足が長いのでネット際の攻防で有利に働いたり。
ボレーの部分ですね。そもそもソフトテニスのボレーは独特なんです。というのも、まずピックルボールのボレーグリップ(握り)は硬式テニスと同じように「コンチネンタルグリップ」という、地面に対して垂直に立てたラケットを握る形になります。一方でソフトテニスは、ラケット面を地面と平行にして、真上からグリップ部分を握る「ウエスタングリップ」を使用します。
その競技経験やスキルが、試合の中で独自のプレースタイルとなり、活躍につなげることができる。それがピックルボールが爆発的に競技人口が増えている大きな要素のひとつなんです。
ピックルボールを極め、プロソフトテニスプレイヤーとしてさらなる高みへ
Photographie/Kei Nagata
ーーソフトテニスが有利に働く要素はどこにあると感じていますか?それによってどんな違いが起こるかというと、前者はフォアボレーとバックボレーで打つパドル面が変わる、つまり両面を使うのですが、後者は片面だけを使ってさばくので、ボレーのスタイルが全然違うんですよ。
そういうことです。ボレーに1番ソフトテニスの特徴が出るので、ピックルボールに反映させることで周りとの差別化を図れますし、唯一無二のプレースタイルを生み出すことができるんです。
いないですね。ソフトテニスは日本で生まれたスポーツで、人気があるのは韓国や台湾といったアジア圏、ヨーロッパだとドイツやオランダで普及していますが、アメリカでの認知度はまったくといっていいほどないんです。
ーー硬式テニスはバックボレーを手の甲側で打つのに対して、ソフトテニスは手のひら側で打つということですか?
ーー唯一無二というと、アメリカではソフトテニスからピックルボールに転向する選手は少ないのでしょうか?
昨年、トライアルでロサンゼルスに2、3週間滞在してピックルボールの本場を経験したんですけど、ソフトテニスを知っている人はひとりもいなかったですし、ボレーの技術も見たことがない人ばかりでした。
基本的に同じラケット競技なので感覚のズレはないのですが、ピックルボールには「ノンボレーゾーン」というボレーをしてはいけないエリアがネットを挟んで両側2m13cm以内にあるので、ボレーをする際にそこに勢いあまって突っ込まないようにするのは大変だなと感じています。
実際に現地でプロの選手と練習試合をさせてもらったんですけど、アメリカでは誰もソフトテニス独自のボレーを使う選手はいないので、驚いて対応できずにいました。それ以外にも試合で有利に働く要素は多々あったので、「ソフトテニスの技術が世界に通用するかもしれない」と、よりピックルボールに可能性を感じましたね。
Photographie/Kei Nagata
ーーピックルボール界では船水選手だけの武器ですから、「船水ボレー」としていつか広まるかもしれませんね。逆にソフトテニスとのプレー感覚のズレが生じることはないんですか?テニス競技はインパクトの際は前に一歩踏み込みながらスイングをするので、ボレーをさばく時にこの一歩がノンボレーゾーンに入ってしまうと反則となり、失点につながってしまいます。テニスにおいては基本的な技術なので、反射的に出てしまわないよう、意識しながらプレーする必要があるんです。
それは大丈夫でした。ロサンゼルスから戻ってソフトテニスの練習をした際に、しっかりと整理して自分の中に落とし込んだので。むしろ技術や感覚が良くなった部分が多かったので、それは大きな収穫でした。
ーーソフトテニスの練習に戻ったとき、スイングワークやフットワークに影響が出たりはしませんか?
ソフトテニスの技術がピックルボールで生かせたように、ピックルボールの試合や練習をした後にソフトテニスをやると、ボレーがよりスピーディーに打てる感覚があり、お互いにいい影響をもたらしてくれる実感を得られたんです。
そうですね。ソフトテニスプレイヤーとして高みを目指していく中で、自分自身の成長は不可欠。でも上に行けばいくほど、技術面でコーチングしてくれる人が少なくなってしまうのが、ソフトテニス界の課題のひとつとしてあります。それはコーチ業だけで食べていけるような仕組みができていないのが理由としてあるのですが。
ーーそれが“二刀流”挑戦の決め手のひとつだったのでしょうか?
なので自分で新たな技術を見つけて習得し、限界を突破していくしかない。そういう意味でも、ピックルボールはソフトテニスの技術向上につながるトレーニングにもなりますし、新しい環境に身を置くことでことで自分を変えることができる。それがかなりいい刺激になっているので、ピックルボールをもっと極めて、ソフトテニスに還元したいと思ったんです。
それにトライアルでロサンゼルスに行った時に、土日平日関係なく、ピックルボールの練習場所が人であふれかえっている光景を見て「あ、この盛り上がりは“本物”だな」と。その人気ぶりを肌で感じました。
その瞬間、自分の中でチャレンジ精神が湧いてきたんです。この競技における日本での認知度がまだ低いという部分でも、やる価値があると思いましたし、それ以上に気持ちのワクワクが止まらなかったので、2024年からピックルボールの選手としてアメリカに渡り、MLPに挑戦することを決断しました。
Yuta Funemizu
Yuta Funemizu
Né le 7 octobre 1993 dans la ville de Kuroishi, préfecture d'Aomori.
Il commence à jouer au tennis soft à l'âge de 5 ans et se consacre aux compétitions depuis le collège dans le but de devenir le meilleur au monde. Au cours de sa troisième année au lycée Tohoku, il a remporté deux titres inter-lycées par équipe et individuels, et après être entré à l'Université Waseda, il a remporté tous les titres inter-universitaires par équipe, en double et en simple. Il a remporté quatre victoires consécutives aux Championnats All Japan Intercollegiate Soft Tennis. En 2015, alors qu'il était en quatrième année, il a été sélectionné comme membre des Championnats du monde et est devenu numéro un mondial dans la compétition nationale, réalisant ainsi son rêve depuis le collège. L'année suivante, il rejoint NTT West Japan, le leader de l'industrie du tennis soft avec environ 200 équipes dans tout le pays, et remporte 10 victoires consécutives dans la Soft Tennis Japan League. Il a continué à jouer un rôle actif en tant que membre de l'équipe nationale japonaise, remportant de nombreux tournois internationaux. En 2020, il devient le deuxième joueur professionnel japonais de tennis soft à devenir indépendant, après son jeune frère Hayato (Funamizu), et s'efforce de populariser et de développer ce sport au Japon. À partir de 2024, il sera également actif en tant que joueur dans le sport populaire « Pickleball » aux États-Unis et participe actuellement à la ligue professionnelle américaine « Major League Pickleball (MLP). » Vise à devenir le premier joueur japonais de MLP.