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プロフットバッグプレイヤー・石田太志が語る、アジア人初の世界一と殿堂入りへの想い「憧れの場所。本当に夢のよう」

競技の認知拡大への貢献、そして世界の頂点を目指すために、2011年から日本人初のプロフットバッグプレイヤーとなった石田太志。2014年にはアジア人初の世界一に輝き、2018年の世界大会では2冠(総合優勝・シュレッド30部門優勝)、さらに世界最高峰の技術力を持ったプレイヤーだけが選出される殿堂入りも達成した。全3回のインタビュー企画、第2弾となる今回は、プロ転向後の活動や、目標としていた世界一と殿堂入りを果たした、その“歴史的背景”に迫る。※メイン画像撮影/長田慶

Icône 1482131451808Principal Sato | 2024/10/07

スポンサー獲得のため300社にメールも!?プロ転向直後に直面した資金調達の壁

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撮影/長田慶

ーー日本人初のプロ選手としてフットバッグ界に新たな歴史を刻んだ石田さん。その後はどういう活動をされていったのですか?

大会に出場することはもちろんですが、フットバッグの大会は優勝しても10万円もらえる年があるかどうかという厳しい世界。なのでプロ転向当初は、スポンサーを見つけようと300社ぐらいに手紙やメールを送ったり、電話をしたり。もう迷惑メールみたいな感じで(笑)、いろんなジャンルの企業に当たっていました。

結局、物品のサポートをしていただいた企業はありましたが、スポンサーは得られず。資金的な課題の解決には至りませんでした。なかには「これで食べていくのは無理だと思うよ」と言われたこともありました。やはり皆さん「この選手、誰?」じゃなく、そもそも「このスポーツはなに?」っていう印象を持たれてしまっていたので、なかなか交渉は難しかったです。

ーーでは、選手活動以外でアルバイトをされたり?

いえ、していません。個人的にバイトをしたら負けだと思っていたので。というのも、多分バイトをすると甘えちゃうんですよ。フットバッグなしでも生きられるようになってしまいますから。だから生活費を切り詰めて、ギリギリまで粘っていました。水道やガスが止まったこともありましたね(笑)。

ーーえ……!? そこまで厳しい状況からどう立て直していかれたのでしょう?

300社も当たっていると、「お金は出せないけど、うちのイベント出てみる?」とか、そういう話をいただくことがあって。実際に出てパフォーマンスを披露すると、今度はそれを見たほかの方からイベントの出演依頼がきたんです。その流れが続いて仕事が増えはじめ、お金もいただけるようになっていきました。

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撮影/長田慶

ーー少しずつ、フットバッグだけで食べていけるようになっていったのですね。選手活動の方も全国大会ではつねに優勝争いを演じ、何度も日本一に輝くなど結果を出し続けていますが、日本王者であり続けるプレッシャーというのはないのでしょうか?

あります。やはりプロは僕しかいないので、全国大会に出ると勝って当たり前な雰囲気になってくるんですよ。当然、僕も失敗することはありますし、それによって点数がひっくり返る可能性もある。追われる側としての精神的プレッシャーは感じてしまいますね。

ーーただ、石田さんは世界一を目指す“挑戦者”でもありました。

はい。その目標があったことは大きかったです。日本一という肩書きだけ聞くと、すごいことだと思われますが、フットバッグ界では認めてもらえるような称号ではありません。それほど世界との差は歴然なんです。

たとえば、陸上男子の100メートルで、日本人選手はなかなか決勝戦に進出できませんよね。男子テニスも、グランドスラム4大会に出場するのはかなり難しいと聞きます。フットバッグ界においても、日本と世界との差は、それらと似たようなレベル感だと認識してもらっていいと思います。

アジア人初の世界一!演技開始から“ゾーン”に入り練習以上の成果発揮

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撮影/長田慶

ーーそんな世界最高峰の舞台で、2014年にアジア人初の世界一を達成されるわけですが、当時の大会に臨む際の心境を教えてください。

正直、優勝は難しいだろうと思っていました。前述の通り、世界との差はかなりありますし、トップ10に日本人が入るだけでも快挙でしたから。加えて、その前に出場した世界大会では全種目予選落ちだったということもあったので、トップ10入りを目標にして試合に臨んでいたんです。

ーートップ10入りどころか、優勝を成し遂げました。要因はなんだったのでしょう?

まず、優勝したのは「シュレッド30(サーティー)」という種目なんですけど、30秒間でできる限りの技を繰り出し、技の数や種類、成功の有無でスコアが加算され、その合計点で順位を競います。

僕はそれまで、国内で何百回もシュレッド30を練習してきましたが、ノーミスで30秒間演技をすることはできなかったんですよ。どうしても、1〜2回「Bag(バッグ)」と言われるボールを落としてしまっていて。ただ、そのミスした分を差し引いてもトップ10入りが可能な点数に届く計算ではあったので、目標達成の準備はできていました。

そして大会に入っていくのですが、いま思えば、予選ステージの時からいつもと違う感覚に陥っていました。演技が始まった瞬間、なにかにバチっと入った感じがして。音楽は爆音で流れているはずなのに、僕のなかでは無音なんです。バッグも本来なら、技を出している時には早く上がって、すぐ落ちるのに、ずっとフワフワ浮かんでいる感じで、スローモーションに見えるんですよ。

30秒間なんてあっという間のはずなのに、次の技は何を出そうか考えられるぐらい、ゆっくりと時間が流れていく。なんだか思考もスッキリしていて、すごく心地よかったですね。

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撮影/長田慶

ーーまさに"ゾーン"に入った感じですね!

そうだと思います。その感覚が、決勝戦までずっとありました。しかも最後の演技が、その日いちばんの出来で、30秒のなかで33個、しかもノーミスで技を成功させることができたんです。要は1秒以下で技を出せたわけですが、ほかの選手との身長差も技数を増やせた要因のひとつかなと思っていて。

ーー身長差というと?

まず技を出すときは、バッグをコントロールしやすくするために、自分の腰ぐらいまでの高さまで蹴り上げる必要があります。なので161センチの僕と、身長が高い外国人選手とでは腰の位置がだいぶ変わってくるので、後者の方がバッグを高く蹴る分、技を出すまでの時間が遅くなるわけです。僕以外の選手はほとんど高身長なので、足技を繰り出す回転(ピッチ)の速さは、僕の特権みたいなものですね。

ーーたとえ体格に恵まれなくても、逆にそこを生かせるという意味では、より多くの人が挑戦しやすい競技になりそうですね。あらためて、初めて世界一になった感想をお聞かせください。

もちろん最終的な目標にはしていましたが、当時は世界一になれるとは思っていなかったので。「絶対に1位になるぞ!」みたいな、変な力が入らなかったのが逆によかったのかなと思います。

それに加えて、2014年大会はクラウドファンディングでたくさんの人から資金提供をしていただき、臨んだ世界大会でもあったので、何か見えない力が働いたのは実感としてあります。後ろで応援してくれる方がいるというのは、自分のなかでは本当に大きかったですね。

2度目の世界一に加え殿堂入りも。全フットバッグ選手が夢見る“憧れの場所”へ

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撮影/長田慶

ーーフットバッグプレイヤーとしての目標を達成されましたが、世界一になられてから、いわゆる“燃え尽き症候群”に陥ったりはしませんでしたか?

2014年に優勝した時は、そういった症状はありませんでした。自分が「上手くなった」とは全然思わなかったですし、世界一といえど、次も勝てるかわからないぐらいのレベルでしたから。

でも、2018年の世界大会でシュレッド30部門で2度目の優勝、加えて出場種目の合計得点で順位を決める「総合」でも初優勝をすることができたんですけど、世界一と同様に目標に掲げていた「殿堂入り」も達成してしまったので、その時は燃え尽き症候群に近いような感覚はありました。

実際に1ヶ月休むとか、フットバッグから離れるとか、そういうことはなかったので、本当に燃え尽きたわけではないとは思いますけど。

ーー競技に対する意欲を失ったというより、単純に目指すものがなくなってしまった。

そうですね。「取れるものは取ったな」「もうやることはないな」という感じで、ちょっと危なさはありました。ただ唯一、「シングルルーチン(フリースタイル)」部門で1位になったことがなかったので、この種目で世界一を目指そうと、気持ちを持っていくことができました。

この種目は、フットバッグ界の“花形”。たとえシュレッド30部門で優勝していても、周りからは「シングルルーチンで1位取ってないよね」みたいな。本当の意味で“チャンピオン”とは認めない、そんな風潮があるんです。

競技の感覚でいうと、フィギュアスケートに近いですね。音楽をかけながら1分30秒の間、演技を披露し、芸術点70点、技術点30点の配分で審査され、そのスコアで順位が決まります。音楽と演技が融合し、技術や美しさを総合的に競う種目なので、まさにフットバッグ界の“花形種目”と言えますね。

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撮影/長田慶

ーー新たな目標設定ができたことで、モチベーションを高い状態で維持することができたのですね。ちなみに、もうひとつの目標だった「殿堂入り」というのは?

フットバッグ界の「殿堂」のことを「BAP」というんですけど、これは「BIG ADD POSSE」の略で、“高いレベルの技ができる集団”という意味になります。フットバッグをしている人なら、誰もがBAPメンバーに入りたいと夢見るぐらい、憧れの場所です。

殿堂入りするには、歴代のBAPメンバーに認めてもらうことが条件。世界一になるとか、大会の成績は関係ありません。高い技術があるかどうか、それだけです。

それで2018年、BAPメンバーのお眼鏡にかない、殿堂入りすることができました。本当に夢のようで、めちゃくちゃ嬉しかったです。

ーーということは、石田さんも殿堂入りする選手を「選ぶ側」になったと。

そういうことです。実際に毎年、ほかのBAPメンバーと一緒に会議に参加し、BAPに入れる技術力のある選手がいるかどうかを話し合っています。だいたい多数決で決めたりしますね。その雰囲気が、ちょっとアンダーグラウンドというか、秘密結社みたいな感じで(笑)。僕はすごく好きです。

Vol.3につづく。


石田太志(いしだ・たいし)
神奈川県横浜市出身のプロフットバッグプレイヤー。
高校まで12年間サッカーを経験。大学入学直後にスポーツショップで海外プレイヤーのフットバッグの映像を見て衝撃を受けたことをきっかけに、フットバッグを始める。2006年にカナダへ留学。語学を学びながらフットバッグの技術を磨き、同年の日本の全国大会「JAPAN FOOTBAG CHAMPIONSHIPS」で初優勝を飾った。大学卒業後は株式会社コムデギャルソンに就職したが、フットバッグの普及・認知拡大を目指し、2011年8月に退職。独立して、日本人初のプロフットバッグプレイヤーとして活動を始める。2014年には世界大会である「World Footbag Championships」で初優勝、アジア人初の世界一に輝いた。2018年には2度目の世界一に加え、アジア人で初めてフットバッグ界の殿堂入りも果たす。これは約600万人いるプレイヤーの中で、過去50年の間に83人のみ選出されている。翌年には全米選手権「Footbag US Open Championships」で初出場、初優勝を成し遂げ、史上初の日本とアメリカ、2カ国のチャンピオンに。2021年にはギネス世界記録保持者にもなった。2024年には3度目の世界一を達成し、競技普及などフットバッグ界への貢献度が認められて再び殿堂入りを果たした。また、日本で唯一のプロフットバッグプレイヤーとしてメディア出演やパフォーマンス活動、講演等も精力的に行っている。


Photo:Kei Osada