Nomura

「燕と虎のコントラスト。ノムさん追悼試合の消えない余韻」

「3月28日、神宮にて野村克也さんの追悼試合が行われた。ともに野村さんがかつて監督を務めた東京ヤクルトスワローズと、阪神タイガース。 華々しく優勝を飾ったヤクルト時代と、最下位に沈んだ阪神時代。今は真逆のコントラストを描く両チームの選手が、野村ヤクルト時代の背番号「73」を背に戦った。 試合は阪神の一方的な勝利。かつてSwallows DREAM GAMEで「何をやってんのか」と苦言を呈したノムさんのぼやきは、まだ続きそうだ。

Icône img 20200702 114958HISATO | 2021/04/29

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「涙雨かな」誰かが言った。追悼の涙だろうか。それとも、低迷するスワローズにノムさんが泣いているのか。その日の神宮は雨模様だった。

2021年3月28日。野村克也氏追悼の東京ヤクルトスワローズ-阪神タイガース戦は、両軍の選手たち、監督コーチも含めて全員が、ヤクルト時代の背番号「73」を着けて闘うスペシャルゲームだった。

春季キャンプ中だった2020年2月11日に野村氏が亡くなって1年。昨年3月に行われるはずだった追悼試合は、コロナ禍で1年を経て実現した。



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チームを優勝・日本一に導き花開かせた東京ヤクルトスワローズと、野村監督在任中は連続最下位で華やかな功績はなかった阪神タイガース。対照的ではあったが、両軍の監督はともに野村克也監督の元で育った選手だ。

雨混じりの空だったが、セレモニーやイニング間にビジョンに流れる言葉など、ノムさんが両軍に残した足跡を偲び、それぞれに思いを馳せる日となった。
 雨で思い出すのが、2019年7月の「Swallows Dream Game」だ。

コロナ禍の前で、雨の神宮は満員だった。雨の中を、全ての人が熱を込めてグラウンドを見守っていた。スワローズでは初めてのOBによるオールスター戦。黄金期のOBたちも、昭和のレジェンドも、嬉しそうに集い、一緒に野球をした。

そこで野村さんは監督として登場し、古田敦也さんの計らいで「代打」として打席に立った。生涯初の、スワローズ選手としての打席。まさか振ると思っていなかったバットを、かつての教え子たちに支えられて振った。

それは打者としての本能だったのだろう。楽しそうな様子で愛弟子に囲まれ、「最下位。何をやってんのか」とぼやくノムさんを、ファンはこれからも一番に思い出すだろう。 

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追悼試合で始球式のマウンドに上がったのは、孫娘の野村沙也子さん。今年2月には、大阪球場跡地にあるなんばパークス「南海ホークスメモリアルギャラリー」に野村さんの遺品が加わり、彩也子さんもセレモニーにかけつけた。

「おかえり!ノムさん 大阪球場に」という名のクラウドファンディングの発起人は、「南海の三悪人」と呼ばれ、問題児ながら愛された一人、江本孟紀さんだ。

この追悼試合の解説も務め、ノムさんを偲ぶのにはぴったりの人選となった。 「俺の野球人生最大の過ちは、阪神の監督を引き受けたことだ」ビジョンに「野村語録」が流れると、場内から苦笑が漏れる。

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よりにもよって追悼試合の阪神戦でこの言葉をセレクトするとは、何とも痛烈な皮肉だ。しかし試合展開は、最初から阪神ペースになっていく。野村さんの皮肉を発奮に変えるように、虎たちは躍動した。

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東京ヤクルトスワローズの先発は、ファンの希望と期待を背負う、2年目の奥川恭伸。マルテの本塁打などで小刻みに得点を重ねられて5回3失点。とはいえ、光るものも随所に見せた。

一方、阪神の先発ガンケルは6回を投げて無失点。サンズも本塁打を放ち、阪神が2-8で完勝した試合だった。 東京ヤクルトスワローズと、阪神タイガース。今はともに野村監督の教え子を監督に据える。



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高津監督というピッチャーの監督。矢野監督というキャッチャーの監督。ビジョンには二人の追悼の言葉が流れた。 

阪神矢野監督がノムさんの言葉で一番印象に残っている言葉として挙げたのは、「感じろ」。「物事が起こってから対応するのではなく、その前に自分で色々アンテナを立てれば、色々感じ取ることが出来る。上手い人だけが結果を残すわけではない。頭を使い感じようとすることで、上手い人に追いつくことも勝つことも出来る」。

試合後には恩師を偲んで「やっぱり大きく影響を与えてくれた人。教えてもらったものを伝えていく」という気持ちを新たにした。 

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ヤクルト高津監督は、一番印象に残っている言葉について「9回投げ終わった時にかけてくれる言葉は『ありがとう』か『サンキュー』でした。この『ありがとう』か『サンキュー』が聞きたくて頑張っていたと言っても過言ではありません」と書いた。

野村ヤクルトの黄金期にクローザーとして大成した高津臣吾は、「教わったことは全て参考にしてます。そして何とかそれを実行できないかと考えてます」と言う。

二軍監督として2年を過ごした後、一軍監督として2年目。怪我やコロナ禍など戦力が整わない事情もあり、まだまだ模索の途中にある。今年のキャンプでは同じく野村イズムの継承者である古田敦也さんを臨時コーチとして招聘し、捕手陣には意識や技術の変化も見られた。

ヤクルトには野村監督が最後に直接薫陶を受けた捕手である嶋基宣もいる。ノムさんが「マー君にそっくり」と言い、楽しみにしていた奥川恭伸を、今年は一軍で投げさせながら大事に育てている。

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野村克也さんが亡くなってから、今でもその功績やエピソードを語る言葉は尽きない。様々な書籍や記事が書かれ、作家が、選手が、指導者が、報道者が、それぞれの言葉で野村さんを語ろうとする。

それは、野村さんが現役引退してから「首から上で生きていこう」と決意し、溢れんばかりの言葉を、人に惜しみなく与えてきた結果なのだろう。

「金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すのが一流」と説いた通りに人を教え育て、その人がまた人を教える指導者となっている。

ヤクルトと阪神のみならず、侍ジャパンに稲葉篤紀監督、西武には辻発彦監督、楽天には石井一久監督などなど、球界には枚挙に暇がないほど、野村監督に影響を受けた指導者がいる。

教え子としての選手に限らず、番記者やファンに向けても、野村さんは多くの言葉を残してきた。野球に関してだけではない。人生の端々に思い出し力になってくれるような言葉が多く聞かれた。

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だからこそ、球界の人でも単なるファンであっても、野村さんから何かを受け取った人は、野村さんを語りたくなるのだと思う。

そうした言葉が近くにあるままだから、野村さんがいなくなった実感は薄い。これからも、何度も追悼の機会とともに、その言葉とともに、野村さんの残したものは、受け継がれていくだろう。 

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野村監督当時とは逆に、今年の阪神は首位を突っ走っている。盤石の投手陣と正捕手と若い力がチームを支え、ノムさんの皮肉も非難も跳ね返すように勝利を重ねている。

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最下位を低空飛行だったヤクルトは、追悼試合からひと月が経った今、燕が空を反転して飛ぶように、Aクラス入りという兆しを見せてきた。今シーズンが終わる時には、両チームはどんな姿を見せているのか。

この追悼試合に前後して、阪神も野村克也さんの追悼試合を主催すると発表した。楽天でも、野村さんが残した功績を復活させたホークスでも、そうした機会があればと思う。1年後とは言わない。何年後でもいい。是非野村さんと野村さんの言葉を振り返る時間を、また作って欲しい。

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