Catholique Ma Première Première Pointe Le 5ème Escudero Akira Fu (Kyoto Sanga FC) Vol.2 "J'ai mal compris l'ère Urawa, je me souviens de mes 16 ans avec un transfert coréen."
プロになりたての頃は「勘違いしていた」と振り返るエスクデロ選手。そんな時期、根底に流れる“アルゼンチン流の教え”を思い出させてくれた、FCソウルでの出来事とは? 加藤理恵
KING GEAR Département Editorial
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2017/02/08
De vol.1 ici
Kato:日本の習慣に完璧に馴染もうと決意してからも、戸惑う事はたくさんあったでしょう?
エスクデロ:いっぱいありますよ~! アルゼンチンって、夏はみんな上半身裸なんですよ。電車やコンビニも普通にそれで。でも、日本ではダメじゃないですか。それを知らなかったので…。
Kato:まさか(笑)!?
エスクデロ:戸惑いました(笑)。他にもアルゼンチンでは、デオドラントスプレーをお風呂上りにするのが当たり前なんですね。匂いに対して敏感だから、小さい頃から“汗や口臭はちゃんとケアしなさい”って習うんです。なので、日本でも学校に行く前にシャワーを浴びて、デオドラントして行ったら…。
Kato:中学生だと怒られますよね~。
エスクデロ:中学初日ですよ!? 日本語もわからないのに怒られ続けて、親も呼び出されて。「これで気分が悪くなる生徒もいるんです」って。朝礼なんかも、あんなに暑い中にたくさんの人を集めて「秋が来ましたね~」とかって。違和感ありました。倒れる人もいて危険だと。
Kato:謎の慣例がいろいろありましたよね(笑)。イライラしたでしょうね。
エスクデロ:嫌なことがあったらスペイン語で悪口言って、その後“ふふっ”って笑って誤魔化していました(笑)
Kato:周りの子と仲良くなるのに、時間はかかりましたか?
エスクデロ:中2のときは青梅、中3は埼玉。高1は埼玉栄に通っていて、高2で学校を辞めているんですけど、その時の友達ってほとんど…いや一人もいないかな。
Kato:完全に日本に馴染むには時間がかかったんですね。それでも「日本人になる!」と?
エスクデロ:中3の頃キリンカップで、アルゼンチンが日本に4-1で勝った試合を見たんです。その時に、日本人になって、日本の代表になって、アルゼンチンやブラジルなどの強豪をW杯の決勝で倒したいと思いました。それができれば本当にすごいと。
Kato:アルゼンチンを倒したいと思ったんですね?
エスクデロ:もちろん僕はアルゼンチンで育ったんだけど…。僕、強いチームと戦うとすごく燃えるんです。すごく楽しい。相手が強いほど自分もうまくなれるし、味方がうまいほど自分もうまくなれる。日本代表はみんなすごくレベルが高いですが、自分はそこにはない武器を持っている。それを出せたら、さらにレベルが高くなれると思っているんです。チームが強くなるための一つの箱になれるかなと。
Kato:箱!?
エスクデロ:いろんなプレースタイルの箱がいっぱいあって、その中の一つの箱。
Kato:今のたとえ、初めて聞きました(笑)。ではここでズバリ! エスクデロ選手の“マイ・ファースト・スパイク”を教えてください。
エスクデロ:浦和レッズのマスコットがついた子供用の靴です(笑)
Kato:ありましたねぇ~懐かしい(笑)あれってスパイクでしたっけ?
エスクデロ:ポイントのついてない普通のシューズです。3、4歳頃、日本の小学生チームに混ざってサッカーを始めたのですが、土のグラウンドだったのでスパイクは履かなかったんです。
Kato:なるほど。ではスパイクを履き始めたのは?
エスクデロ:7歳くらいの頃、お父さんが僕のプレーを観て、日本にいるよりもアルゼンチンでやったほうがいいって判断して、日本の仕事を断ってアルゼンチンに行きました。帰った最初の1年はスペイン語の勉強があったので、練習が夜だけのフットサルをやっていましたが、小4から近くのHaedo sulというクラブに入りました。スパイクはその時におじいちゃんが買ってくれたTopper(トッパー)が最初です。
Kato:アルゼンチン=プーマというイメージがありましたが、Topperが人気だったんですか?
エスクデロ:ちょうど色のついたスパイクが流行ってきた時期とも重なって、安くて丈夫なTopperやディアドラが子供の間では人気でした。僕はTopperの安くてデカいサイズのスパイクを与えられたんです(笑)。小4のときに買ってもらったのに、小5でも余裕で履けたという! しかも、壊れると直してくれるんですよ。フタバスポーツのようなお店で、剥がれたポイントを貼ったり。
Kato:エスクデロ家は、スパイクが壊れたら、新しい物を買ってもらえるような環境だったのでは?
エスクデロ:お父さんがサッカー選手だったので、生活レベルはそれなりではあったんですが、裕福に育てられたことは一度もなくて。スパイクも長く履かなきゃダメだし、壊れてもすぐには買ってもらえない。外食に行っても、ジュースは頼んじゃダメとか(笑)
Kato:しっかりしていますね。
エスクデロ:アルゼンチンでは、サッカー選手ってすごくお金がもらえるので勘違いして、痛い目を見る人も多いんです。だけど本当にすごい人っていうのは堅実で…。たとえば、ウルグアイのフォルランの子供は、町の汚いグラウンドで、ドロドロの中で傷だらけになりながらサッカーをやっていて、スパイクが壊れてもすぐには買わないそうです。マラドーナは…痛い目に遭っていますよね(笑)。そういうのがあるから、うちのお父さんは厳しく、必要以上の物を与えてくれなかった。
Kato:なるほど。
エスクデロ:今でもスパイクは大事にしていますよ。試合の後はお風呂で洗って、履かなくなったらアルゼンチンに送る。FCソウル時代も「なんでそんなにスパイクを洗うの?」「壊れたら新しいのを貰えるじゃん」ってよく言われました。でも僕は、そのスパイクに愛情があるから。
Kato:自分で洗うんですか?
エスクデロ:そうです。歯ブラシで。
Kato:えぇ! ホペイロがいるチームもありますよね? レッズ時代も?
エスクデロ:レッズの時はやってなかったです。僕、あの頃はすごく勘違いしていました(笑)16歳でプロになってちやほやされて、お金ももらって。レッズはどこに行っても知られていて、Jリーグ優勝、天皇杯優勝、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)も出て…。自分が何もしなくても優勝できるチーム。ベンチに座っているだけで名前は残る。勘違いした結果、何もできなかったのが正直なところで。
Kato:昔インタビューさせてもらった時との変化に驚いています。
エスクデロ:韓国に行って、いろいろ思い出したんです。韓国って、練習中からガツガツしていてアルゼンチンみたいなんですね。FCソウルは素晴らしいクラブだったけど、レッズと同じように周りがいろいろやってくれるかというと、そうじゃない。韓国でいろんな事を考えました。そこで、かつてのプロになることを目指していた、16歳の自分に戻れたんです。それがあったから韓国や中国で活躍できて、日本に帰ってからも自分のプレーを表現できたのかなって。
Kato:いろんな事に気付いたきっかけはあったんですか?
エスクデロ:2014年のACL準決勝、シドニーFC戦でビッグチャンスを3回外して、そこから1ヶ月間、セカンドチームで練習させられたことがありました。毎日2部練か3部練で、フィジカルトレーニングばかり。トップチームの選手、監督とも一切顔を合わせない。そこに1ヶ月いるって相当なメンタルが必要で、お父さんに「日本に帰ってきていいよ」と言われた程でした。
Kato:すごく悔しいですよね…。
エスクデロ:でもその時に、自分がどんな選手になりたいのかはっきりしたんです。過去の自分がその状況にいたら、怒って練習後はすぐに帰って家で愚痴って、次の日も同じことの繰り返しになっていたと思うんですけど、その時はその状況を楽しめていました。何度かセカンドチームのみんなとブラジル料理を食べに行ってご馳走したり、そういう事もできるようになっていました。
Kato:前向きに取り組めたんですね。
エスクデロ:こうなったのには理由があるわけで、誰かのせいにするんじゃなくて、自分で打開するしかないと。その時に“変わったな”ってはじめて自分でも思えました。なりたい選手像がはっきりして、周りの事も見えるようになったんです。まだまだ足りないけど、チームを勝たせる選手になりたいって思うようになりました。その時間がなかったら、今の自分はないですね。
<Vol.3に続く> http://king-gear.com/articles/260
Coopération de couverture / Futaba Sports Omiya
http://www.futaba-sp.com/author/oomiya
Photo / Hidemi Sakuma
Kato:日本の習慣に完璧に馴染もうと決意してからも、戸惑う事はたくさんあったでしょう?
エスクデロ:いっぱいありますよ~! アルゼンチンって、夏はみんな上半身裸なんですよ。電車やコンビニも普通にそれで。でも、日本ではダメじゃないですか。それを知らなかったので…。
Kato:まさか(笑)!?
エスクデロ:戸惑いました(笑)。他にもアルゼンチンでは、デオドラントスプレーをお風呂上りにするのが当たり前なんですね。匂いに対して敏感だから、小さい頃から“汗や口臭はちゃんとケアしなさい”って習うんです。なので、日本でも学校に行く前にシャワーを浴びて、デオドラントして行ったら…。
Kato:中学生だと怒られますよね~。
エスクデロ:中学初日ですよ!? 日本語もわからないのに怒られ続けて、親も呼び出されて。「これで気分が悪くなる生徒もいるんです」って。朝礼なんかも、あんなに暑い中にたくさんの人を集めて「秋が来ましたね~」とかって。違和感ありました。倒れる人もいて危険だと。
Kato:謎の慣例がいろいろありましたよね(笑)。イライラしたでしょうね。
エスクデロ:嫌なことがあったらスペイン語で悪口言って、その後“ふふっ”って笑って誤魔化していました(笑)
Kato:周りの子と仲良くなるのに、時間はかかりましたか?
エスクデロ:中2のときは青梅、中3は埼玉。高1は埼玉栄に通っていて、高2で学校を辞めているんですけど、その時の友達ってほとんど…いや一人もいないかな。
Kato:完全に日本に馴染むには時間がかかったんですね。それでも「日本人になる!」と?
エスクデロ:中3の頃キリンカップで、アルゼンチンが日本に4-1で勝った試合を見たんです。その時に、日本人になって、日本の代表になって、アルゼンチンやブラジルなどの強豪をW杯の決勝で倒したいと思いました。それができれば本当にすごいと。
Kato:アルゼンチンを倒したいと思ったんですね?
エスクデロ:もちろん僕はアルゼンチンで育ったんだけど…。僕、強いチームと戦うとすごく燃えるんです。すごく楽しい。相手が強いほど自分もうまくなれるし、味方がうまいほど自分もうまくなれる。日本代表はみんなすごくレベルが高いですが、自分はそこにはない武器を持っている。それを出せたら、さらにレベルが高くなれると思っているんです。チームが強くなるための一つの箱になれるかなと。
Kato:箱!?
エスクデロ:いろんなプレースタイルの箱がいっぱいあって、その中の一つの箱。
Kato:今のたとえ、初めて聞きました(笑)。ではここでズバリ! エスクデロ選手の“マイ・ファースト・スパイク”を教えてください。
エスクデロ:浦和レッズのマスコットがついた子供用の靴です(笑)
Kato:ありましたねぇ~懐かしい(笑)あれってスパイクでしたっけ?
エスクデロ:ポイントのついてない普通のシューズです。3、4歳頃、日本の小学生チームに混ざってサッカーを始めたのですが、土のグラウンドだったのでスパイクは履かなかったんです。
Kato:なるほど。ではスパイクを履き始めたのは?
エスクデロ:7歳くらいの頃、お父さんが僕のプレーを観て、日本にいるよりもアルゼンチンでやったほうがいいって判断して、日本の仕事を断ってアルゼンチンに行きました。帰った最初の1年はスペイン語の勉強があったので、練習が夜だけのフットサルをやっていましたが、小4から近くのHaedo sulというクラブに入りました。スパイクはその時におじいちゃんが買ってくれたTopper(トッパー)が最初です。
Kato:アルゼンチン=プーマというイメージがありましたが、Topperが人気だったんですか?
エスクデロ:ちょうど色のついたスパイクが流行ってきた時期とも重なって、安くて丈夫なTopperやディアドラが子供の間では人気でした。僕はTopperの安くてデカいサイズのスパイクを与えられたんです(笑)。小4のときに買ってもらったのに、小5でも余裕で履けたという! しかも、壊れると直してくれるんですよ。フタバスポーツのようなお店で、剥がれたポイントを貼ったり。
Kato:エスクデロ家は、スパイクが壊れたら、新しい物を買ってもらえるような環境だったのでは?
エスクデロ:お父さんがサッカー選手だったので、生活レベルはそれなりではあったんですが、裕福に育てられたことは一度もなくて。スパイクも長く履かなきゃダメだし、壊れてもすぐには買ってもらえない。外食に行っても、ジュースは頼んじゃダメとか(笑)
Kato:しっかりしていますね。
エスクデロ:アルゼンチンでは、サッカー選手ってすごくお金がもらえるので勘違いして、痛い目を見る人も多いんです。だけど本当にすごい人っていうのは堅実で…。たとえば、ウルグアイのフォルランの子供は、町の汚いグラウンドで、ドロドロの中で傷だらけになりながらサッカーをやっていて、スパイクが壊れてもすぐには買わないそうです。マラドーナは…痛い目に遭っていますよね(笑)。そういうのがあるから、うちのお父さんは厳しく、必要以上の物を与えてくれなかった。
Kato:なるほど。
エスクデロ:今でもスパイクは大事にしていますよ。試合の後はお風呂で洗って、履かなくなったらアルゼンチンに送る。FCソウル時代も「なんでそんなにスパイクを洗うの?」「壊れたら新しいのを貰えるじゃん」ってよく言われました。でも僕は、そのスパイクに愛情があるから。
Kato:自分で洗うんですか?
エスクデロ:そうです。歯ブラシで。
Kato:えぇ! ホペイロがいるチームもありますよね? レッズ時代も?
エスクデロ:レッズの時はやってなかったです。僕、あの頃はすごく勘違いしていました(笑)16歳でプロになってちやほやされて、お金ももらって。レッズはどこに行っても知られていて、Jリーグ優勝、天皇杯優勝、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)も出て…。自分が何もしなくても優勝できるチーム。ベンチに座っているだけで名前は残る。勘違いした結果、何もできなかったのが正直なところで。
Kato:昔インタビューさせてもらった時との変化に驚いています。
エスクデロ:韓国に行って、いろいろ思い出したんです。韓国って、練習中からガツガツしていてアルゼンチンみたいなんですね。FCソウルは素晴らしいクラブだったけど、レッズと同じように周りがいろいろやってくれるかというと、そうじゃない。韓国でいろんな事を考えました。そこで、かつてのプロになることを目指していた、16歳の自分に戻れたんです。それがあったから韓国や中国で活躍できて、日本に帰ってからも自分のプレーを表現できたのかなって。
Kato:いろんな事に気付いたきっかけはあったんですか?
エスクデロ:2014年のACL準決勝、シドニーFC戦でビッグチャンスを3回外して、そこから1ヶ月間、セカンドチームで練習させられたことがありました。毎日2部練か3部練で、フィジカルトレーニングばかり。トップチームの選手、監督とも一切顔を合わせない。そこに1ヶ月いるって相当なメンタルが必要で、お父さんに「日本に帰ってきていいよ」と言われた程でした。
Kato:すごく悔しいですよね…。
エスクデロ:でもその時に、自分がどんな選手になりたいのかはっきりしたんです。過去の自分がその状況にいたら、怒って練習後はすぐに帰って家で愚痴って、次の日も同じことの繰り返しになっていたと思うんですけど、その時はその状況を楽しめていました。何度かセカンドチームのみんなとブラジル料理を食べに行ってご馳走したり、そういう事もできるようになっていました。
Kato:前向きに取り組めたんですね。
エスクデロ:こうなったのには理由があるわけで、誰かのせいにするんじゃなくて、自分で打開するしかないと。その時に“変わったな”ってはじめて自分でも思えました。なりたい選手像がはっきりして、周りの事も見えるようになったんです。まだまだ足りないけど、チームを勝たせる選手になりたいって思うようになりました。その時間がなかったら、今の自分はないですね。
<Vol.3に続く> http://king-gear.com/articles/260
Coopération de couverture / Futaba Sports Omiya
http://www.futaba-sp.com/author/oomiya
Photo / Hidemi Sakuma