Le chemin vers Tokyo imaginé par Toshiya Saito, un nouveau héros dans le monde de l'escrime japonaise Vol.2 "La plus grande chose a été la rencontre avec Yuki Ota"
昨年7月、ドイツのライプチヒで行われたフェンシング世界選手権で、一躍、日本フェンシング界をリードする存在に躍り出た若者がいる。男子フルーレ個人で銀メダルを獲得した西藤俊哉だ。この大会で西藤は、持ち味である思いきりの良い攻撃を武器に、リオ五輪金メダルのガロッツォ(イタリア)をはじめとする世界の強豪を次々と撃破し、まさに破竹の勢いで決勝の舞台まで駆け上がった。大会後も西藤の勢いは衰えず、12月に行われた全日本選手権では、国内のライバルを退けて初優勝。昨年、急成長を遂げた20歳の若者が思い描く2020年東京オリンピックまでの道筋はどのようなものなのか。第一話では、フェンシングとの出会いやフェンシングの魅力を伺った。第二話では、世界を目指すことになったきっかけや、自身のフェンシングの特徴・課題などを訊いた。
Taisuke Segawa
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2018/05/19
昨年末の全日本選手権の決勝戦では、その松山恭介選手を相手に大逆転勝利を収めましたが、あれはどんな作戦を立てていたのでしょうか?
松山選手は細かいテクニックからダイナミックな動きまで本当に何でも出来るオールラウンドな選手なんです。しかもすごく頭がいい。その試合は、簡単にいうと、カウンターで技を決めていこうという作戦で試合に挑んだんですが、いざ試合が始まってみると、松山選手が思った以上にガンガン攻めてきて、それに僕が対応できなかったんです。“あれ!?、いつもと違うな“と感じているうちに1−9というスコアになってしまったんですが、そこで僕は、“下がったら絶対にやられるな”と思ったので、「審判が“はじめ”って言ったら絶対に下がらない!」ということだけを決めたんです。同時に、僕がもともと左利きの選手に対して得意にしている、外から剣をはずして相手を突いていく攻撃だけに狙いを絞るようにしました。おそらく、僕がちょうど作戦を変えたときに、松山選手も心理的に何か変わるものがあったのかもしれません。本人に聞いた訳ではないので詳細はわかりませんが、僕の攻撃を受けてくれるようになったんです。そこが僕が大逆転をする大きなポイントだったんじゃないかと思っています。
この大逆転勝利は、ご自身の成長だと捉えていますか?
いえ、どちらかというと、自分の課題としていたところがそのまま出てしまったなと捉えています。最初の入りで相手に走られてしまうというのは、世界選手権を終わってからの僕の課題だったんですけど、その悪いところが出てしまった。
もう少し課題について詳しく聞かせてください。それは想定と違うことに対しての対応力に課題があるということでしょうか?
もちろん、それもあります。相手が戦い方を変えてきたことに対して、自分が対応できていないというのは一つの課題です。これまで僕はノーランカーでしたが、昨年の世界選手権で結果を出したことで、周りに研究されるようになり、相手も自分の弱点を突いてくるようになりました。そこに僕が対応しきれていないとも言えます。あとはさっきも言ったように、試合の入り方が大きな課題です。今までは予選リーグを戦ってから決勝トーナメントに行くという流れがありましたが、ランカーになったことで、決勝トーナメントからスタートすることになり、その入り方が難しいことだと、勝手に自分の中で思い込んでしまって、メンタル的に試合にうまく入れない、エンジンがかからないという感覚があるんです。
メンタルは強そうに感じていましたので意外ですね。
でも、“勝負強い”とか“本番に強い”ってよく言われますけどね。コーチの方も取材で「大きい舞台で何かやるのはいつも俊哉だよね」っていう風に言ってくれたりもするようです。でも、それはたまたま試合で結果が出ていたから、そう言ってもらっていただけで、自分としては、試合の入り方を含めて、メンタル的な部分はまだまだ課題だと思っています。
では、西藤選手のプレースタイルや強みをきかせてください。
僕が他の選手に比べて長けているのは、フットワークの部分だと思っています。足を使った動きの中から、自分でチャンスを作り出して攻撃を仕掛けていくので、スピードに乗って突いていくことができるという強みがあります。あとは、これはみんな同じかもしれませんが、負けん気の強さは誰にも負けないつもりでいます。“絶対に最後まで諦めたくない”っていうところですね。僕が常に積極的に攻めて行く姿勢は、幼い頃からの性格が出ているのかなと思います。
負けず嫌いな性格とのことですが、フェンシングで世界を目指すようになったのはいつ頃からでしょうか?何か大きなきっかけがあったのでしょうか?
一番大きかったのは、やはり太田雄貴さんとの出会いですね。小学校三年生の時に、全国大会が京都で行われていて、太田さんが京都出身ということで、凱旋イベントが開催されたんですね。抽選で当たった人は太田さんと試合が出来るっていう内容でした。僕は抽選には外れてしまったので、会場で見ていたのですが、たまたま抽選に当たった子が、道具が壊れて太田さんと試合が出来なくなっちゃったんです。そこで太田さんが「誰かやりたい人!」って代理を募集した時に、真っ先に手を挙げたら、僕しかいなくて(笑)。本当に運良く太田さんと試合をすることができました。その時の試合で、僕は太田さんがちゃんと試合をしてくれたって感じて、それが凄く嬉しくて。ご本人には聞いたことないし、当時どう考えていたかもわからないんですけどね。ただ、大人に手を抜かれると、子供ながらにもわかるじゃないですか。“あ、手を抜かれてるな”って。でも太田さんは、手を抜かずにしっかりやってくれてるなと感じるプレイをしてくれました。そのスピード感とか、オーラとか殺気っていうものを、子供ながらにも肌で感じて、フェンシング選手はこうあるべきなんだっていうのを提示してもらい、さらにオリンピックの話で聞いて、夢をもらいました。それに、単純に負けて悔しかったんですよね。だからあのとき、僕の中で、太田さんが一つの目標、基準になって、さらにオリンピックっていう目標ができました。あの一日だけでも僕の人生観は大きく変わりましたね。
小学校3年生の感受性とは思えないですね。その時の太田選手のオーラは今でも覚えてますか?
はっきりと覚えてますね。スピード感とか、対峙した時の存在感とかオーラとか。
その時に感じたオーラは、もう今は他の選手から感じることはないですか?
さすがにもうないですね。今は立場も変わって、第一線でやっているという自負があるし、勝負にかける気持ちや覚悟を持って挑んでいますので。周りの選手に負けるつもりもないですしね。だから、今対戦する選手に対して感じるものというのは、小学3年生の時に太田さんから感じたものとは全く別のものなのかなと思います。
この選手はやりにくそうだなといった感覚は、対峙してみて一瞬で分かるものなのでしょうか?
そうですね。でも、自分のメンタルとか先入観が大きいんですけどね。プレイが始まれば、“この選手勢いがあるな”とか、“この選手はビビってるな”といったことは感じます。だから、逆に自分がビビっていることもわかっちゃうんですよね。自分のことは自分が一番よくわかりますから。ビビってる時は相手選手がすごく大きく見えるんですよ。ただでさえ大きい選手がもっと大きく見えるので、怖いと感じますし、逆に、対峙してみて、“あれっ、思ったより体格差を感じないな”っていう時もありますしね。その日の調子によって、僕が相手に感じることも変わりますし、相手が僕に感じる雰囲気も変わってくると思います。
Troisième motsPet
Interview / texte / photo :Yasuyuki Segawa
松山選手は細かいテクニックからダイナミックな動きまで本当に何でも出来るオールラウンドな選手なんです。しかもすごく頭がいい。その試合は、簡単にいうと、カウンターで技を決めていこうという作戦で試合に挑んだんですが、いざ試合が始まってみると、松山選手が思った以上にガンガン攻めてきて、それに僕が対応できなかったんです。“あれ!?、いつもと違うな“と感じているうちに1−9というスコアになってしまったんですが、そこで僕は、“下がったら絶対にやられるな”と思ったので、「審判が“はじめ”って言ったら絶対に下がらない!」ということだけを決めたんです。同時に、僕がもともと左利きの選手に対して得意にしている、外から剣をはずして相手を突いていく攻撃だけに狙いを絞るようにしました。おそらく、僕がちょうど作戦を変えたときに、松山選手も心理的に何か変わるものがあったのかもしれません。本人に聞いた訳ではないので詳細はわかりませんが、僕の攻撃を受けてくれるようになったんです。そこが僕が大逆転をする大きなポイントだったんじゃないかと思っています。
この大逆転勝利は、ご自身の成長だと捉えていますか?
いえ、どちらかというと、自分の課題としていたところがそのまま出てしまったなと捉えています。最初の入りで相手に走られてしまうというのは、世界選手権を終わってからの僕の課題だったんですけど、その悪いところが出てしまった。
もう少し課題について詳しく聞かせてください。それは想定と違うことに対しての対応力に課題があるということでしょうか?
もちろん、それもあります。相手が戦い方を変えてきたことに対して、自分が対応できていないというのは一つの課題です。これまで僕はノーランカーでしたが、昨年の世界選手権で結果を出したことで、周りに研究されるようになり、相手も自分の弱点を突いてくるようになりました。そこに僕が対応しきれていないとも言えます。あとはさっきも言ったように、試合の入り方が大きな課題です。今までは予選リーグを戦ってから決勝トーナメントに行くという流れがありましたが、ランカーになったことで、決勝トーナメントからスタートすることになり、その入り方が難しいことだと、勝手に自分の中で思い込んでしまって、メンタル的に試合にうまく入れない、エンジンがかからないという感覚があるんです。
メンタルは強そうに感じていましたので意外ですね。
でも、“勝負強い”とか“本番に強い”ってよく言われますけどね。コーチの方も取材で「大きい舞台で何かやるのはいつも俊哉だよね」っていう風に言ってくれたりもするようです。でも、それはたまたま試合で結果が出ていたから、そう言ってもらっていただけで、自分としては、試合の入り方を含めて、メンタル的な部分はまだまだ課題だと思っています。
では、西藤選手のプレースタイルや強みをきかせてください。
僕が他の選手に比べて長けているのは、フットワークの部分だと思っています。足を使った動きの中から、自分でチャンスを作り出して攻撃を仕掛けていくので、スピードに乗って突いていくことができるという強みがあります。あとは、これはみんな同じかもしれませんが、負けん気の強さは誰にも負けないつもりでいます。“絶対に最後まで諦めたくない”っていうところですね。僕が常に積極的に攻めて行く姿勢は、幼い頃からの性格が出ているのかなと思います。
負けず嫌いな性格とのことですが、フェンシングで世界を目指すようになったのはいつ頃からでしょうか?何か大きなきっかけがあったのでしょうか?
一番大きかったのは、やはり太田雄貴さんとの出会いですね。小学校三年生の時に、全国大会が京都で行われていて、太田さんが京都出身ということで、凱旋イベントが開催されたんですね。抽選で当たった人は太田さんと試合が出来るっていう内容でした。僕は抽選には外れてしまったので、会場で見ていたのですが、たまたま抽選に当たった子が、道具が壊れて太田さんと試合が出来なくなっちゃったんです。そこで太田さんが「誰かやりたい人!」って代理を募集した時に、真っ先に手を挙げたら、僕しかいなくて(笑)。本当に運良く太田さんと試合をすることができました。その時の試合で、僕は太田さんがちゃんと試合をしてくれたって感じて、それが凄く嬉しくて。ご本人には聞いたことないし、当時どう考えていたかもわからないんですけどね。ただ、大人に手を抜かれると、子供ながらにもわかるじゃないですか。“あ、手を抜かれてるな”って。でも太田さんは、手を抜かずにしっかりやってくれてるなと感じるプレイをしてくれました。そのスピード感とか、オーラとか殺気っていうものを、子供ながらにも肌で感じて、フェンシング選手はこうあるべきなんだっていうのを提示してもらい、さらにオリンピックの話で聞いて、夢をもらいました。それに、単純に負けて悔しかったんですよね。だからあのとき、僕の中で、太田さんが一つの目標、基準になって、さらにオリンピックっていう目標ができました。あの一日だけでも僕の人生観は大きく変わりましたね。
小学校3年生の感受性とは思えないですね。その時の太田選手のオーラは今でも覚えてますか?
はっきりと覚えてますね。スピード感とか、対峙した時の存在感とかオーラとか。
その時に感じたオーラは、もう今は他の選手から感じることはないですか?
さすがにもうないですね。今は立場も変わって、第一線でやっているという自負があるし、勝負にかける気持ちや覚悟を持って挑んでいますので。周りの選手に負けるつもりもないですしね。だから、今対戦する選手に対して感じるものというのは、小学3年生の時に太田さんから感じたものとは全く別のものなのかなと思います。
この選手はやりにくそうだなといった感覚は、対峙してみて一瞬で分かるものなのでしょうか?
そうですね。でも、自分のメンタルとか先入観が大きいんですけどね。プレイが始まれば、“この選手勢いがあるな”とか、“この選手はビビってるな”といったことは感じます。だから、逆に自分がビビっていることもわかっちゃうんですよね。自分のことは自分が一番よくわかりますから。ビビってる時は相手選手がすごく大きく見えるんですよ。ただでさえ大きい選手がもっと大きく見えるので、怖いと感じますし、逆に、対峙してみて、“あれっ、思ったより体格差を感じないな”っていう時もありますしね。その日の調子によって、僕が相手に感じることも変わりますし、相手が僕に感じる雰囲気も変わってくると思います。
Troisième motsPet
Interview / texte / photo :Yasuyuki Segawa