中西永輔の現在地 「Vol.2:フランスワールドカップでの唯一の後悔」
1998年6月14日をサッカーファンなら覚えているだろう。日本代表が初めてワールドカップに出場した記念すべき日だ。開幕戦のアルゼンチン戦にスタメン出場し、記憶に残るプレーをされた中西永輔さん。あまり語ることのなかった現役時代の話や現在の活動の話などをじっくり聞かせて頂いた。
Koike Kikuchi
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2019/09/30
Vol.1 d'ici
――ギアの話を聞かせて頂きます。もともとナイキのスパイクを履かれてましたよね。四日市中央工業高校(以下:四中工)の時からですか?
Chinois et occidental:いや、昔はアディダスを履いてました。地元の先輩が四日市でスポーツショップをやってまして、選手権やインターハイに出ると選手だけ半額にしてくれるんですよ。その時に大量買いです(笑)
いいスパイクが半額になるので、コパムンディアルとかを喜んで買ってました。
高校時代はアディダスをメインに履いていて、ジェフに入ったらアシックスを履きました。当時はジェフのサプライヤーがアシックスでしたので、提供頂きしばらく履いていたんです。
しばらくして、プーマを履こうと思って、知り合いの担当の方に展示会にも連れていってもらったんですが、その方が突如ナイキに転職することになり、その流れでナイキを履きだしたんです。
――スパイクに求めていたものはなんですか?
Chinois et occidental:履き心地が1番ですよね。僕は少し甲高なので、コパムンディアルでしたら本革で包まれて伸びてくれるから良かったんですけどね。
ナイキも履いた時に当初はあまり足に合いませんでしたが、色々な種類が出てきたじゃないですか。その中でティエンポが足に合ってきました。足にフィットするスパイクを求めていましたね。
――フランスワールドカップで使っていたスパイクはなんでしたっけ?
Chinois et occidental:ティエンポではなく、マーキュリアルだったと思います。
――初戦のアルゼンチン戦でスタメンだったじゃないですか。どんな気持ちでした?
Chinois et occidental:僕はアトランタ五輪の世代ですが、最終予選の前にメンバーから落とされて悔しい思いをしたんです。
「いつかA代表に入ってワールドカップのピッチに立ってやるぞ!」と、その時改めて決意をし、悔しさをバネにしたことで、ワールドカップ出場を掴み取ることができました。
――実際にアルゼンチン戦のピッチに立った瞬間の気持ちを教えてください。
Chinois et occidental:アルゼンチン代表の選手と並んだ時に、スーパースターばかりだったことを覚えています。
アジア予選レギュラーで使ってもらっていたわけではないですが、本戦ではピッチへ歩いていく時に、子供の頃からの夢が叶ったという想いで胸がいっぱいでした。
子供の頃から、両親を含めてサッカー漬けの生活をしていた中で、あのピッチに立った時は色んな感情が混じって、国家が流れた時には試合前でしたが、泣きそうになりました。
――アルゼンチン戦でスタメンを掴めたきっかけはなんだったんですか?
Chinois et occidental:きっかけは、ワールドカップの前のキリンチャレンジカップのチェコ戦で、スリーバックでいこうとなった際に、たまたま小村(徳男)さんと秋田(豊)さんが怪我をされたんです。
チェコが仮想アルゼンチンのフォーメーションみたいな感じで、1人が2mくらいありバティストゥータに見立てた選手で、1人が足が速い選手でした。真ん中が井原(正巳)さんで僕と齊藤俊秀が左右を務めました。
その時にある程度、結果を残したといいますか、足の速い選手を止めて、記事などにも「中西いけるんじゃないか」みたいに出たりしました。
その後の練習試合で、ユーゴスラビアとメキシコと試合をしましたが、その時にも出してもらって、ワールドカップ直前のチャンスを掴めたかなという手応えがありました。
――アルゼンチン戦ではディフェンス面で貢献されてましたが、何よりも攻め上がっていった際に、サイド際で2人の間をするっと抜いたシーンは今でも強烈に覚えています。
Chinois et occidental:本当に一生懸命にやっていただけですが、「サッカー人生でベストな試合はどれですか?」と聞かれたら、絶対にあのアルゼンチン戦が僕のサッカー人生の中で120%出せましたし、負けましたが、自分の中では納得したプレーが個人的には出せたと自信を持って言える試合でした。
――1番の舞台にベストな力を出せたことは凄いですね。
Chinois et occidental:自分にとっても幸せですし、後からあの時にああしていたらと後悔するのも良くないですからね。ただ、あの時に抜いた後にシュートを打っていたら良かったという後悔はありますが(笑)
ロペスが外したんで、どうせ外すなら打っておけば良かったな。ロペスには言えないですけどね(笑)
Continuez à Vol.3
――ギアの話を聞かせて頂きます。もともとナイキのスパイクを履かれてましたよね。四日市中央工業高校(以下:四中工)の時からですか?
Chinois et occidental:いや、昔はアディダスを履いてました。地元の先輩が四日市でスポーツショップをやってまして、選手権やインターハイに出ると選手だけ半額にしてくれるんですよ。その時に大量買いです(笑)
いいスパイクが半額になるので、コパムンディアルとかを喜んで買ってました。
高校時代はアディダスをメインに履いていて、ジェフに入ったらアシックスを履きました。当時はジェフのサプライヤーがアシックスでしたので、提供頂きしばらく履いていたんです。
しばらくして、プーマを履こうと思って、知り合いの担当の方に展示会にも連れていってもらったんですが、その方が突如ナイキに転職することになり、その流れでナイキを履きだしたんです。
――スパイクに求めていたものはなんですか?
Chinois et occidental:履き心地が1番ですよね。僕は少し甲高なので、コパムンディアルでしたら本革で包まれて伸びてくれるから良かったんですけどね。
ナイキも履いた時に当初はあまり足に合いませんでしたが、色々な種類が出てきたじゃないですか。その中でティエンポが足に合ってきました。足にフィットするスパイクを求めていましたね。
――フランスワールドカップで使っていたスパイクはなんでしたっけ?
Chinois et occidental:ティエンポではなく、マーキュリアルだったと思います。
――初戦のアルゼンチン戦でスタメンだったじゃないですか。どんな気持ちでした?
Chinois et occidental:僕はアトランタ五輪の世代ですが、最終予選の前にメンバーから落とされて悔しい思いをしたんです。
「いつかA代表に入ってワールドカップのピッチに立ってやるぞ!」と、その時改めて決意をし、悔しさをバネにしたことで、ワールドカップ出場を掴み取ることができました。
――実際にアルゼンチン戦のピッチに立った瞬間の気持ちを教えてください。
Chinois et occidental:アルゼンチン代表の選手と並んだ時に、スーパースターばかりだったことを覚えています。
アジア予選レギュラーで使ってもらっていたわけではないですが、本戦ではピッチへ歩いていく時に、子供の頃からの夢が叶ったという想いで胸がいっぱいでした。
子供の頃から、両親を含めてサッカー漬けの生活をしていた中で、あのピッチに立った時は色んな感情が混じって、国家が流れた時には試合前でしたが、泣きそうになりました。
――アルゼンチン戦でスタメンを掴めたきっかけはなんだったんですか?
Chinois et occidental:きっかけは、ワールドカップの前のキリンチャレンジカップのチェコ戦で、スリーバックでいこうとなった際に、たまたま小村(徳男)さんと秋田(豊)さんが怪我をされたんです。
チェコが仮想アルゼンチンのフォーメーションみたいな感じで、1人が2mくらいありバティストゥータに見立てた選手で、1人が足が速い選手でした。真ん中が井原(正巳)さんで僕と齊藤俊秀が左右を務めました。
その時にある程度、結果を残したといいますか、足の速い選手を止めて、記事などにも「中西いけるんじゃないか」みたいに出たりしました。
その後の練習試合で、ユーゴスラビアとメキシコと試合をしましたが、その時にも出してもらって、ワールドカップ直前のチャンスを掴めたかなという手応えがありました。
――アルゼンチン戦ではディフェンス面で貢献されてましたが、何よりも攻め上がっていった際に、サイド際で2人の間をするっと抜いたシーンは今でも強烈に覚えています。
Chinois et occidental:本当に一生懸命にやっていただけですが、「サッカー人生でベストな試合はどれですか?」と聞かれたら、絶対にあのアルゼンチン戦が僕のサッカー人生の中で120%出せましたし、負けましたが、自分の中では納得したプレーが個人的には出せたと自信を持って言える試合でした。
――1番の舞台にベストな力を出せたことは凄いですね。
Chinois et occidental:自分にとっても幸せですし、後からあの時にああしていたらと後悔するのも良くないですからね。ただ、あの時に抜いた後にシュートを打っていたら良かったという後悔はありますが(笑)
ロペスが外したんで、どうせ外すなら打っておけば良かったな。ロペスには言えないですけどね(笑)
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