« Courir élargit les possibilités infinies » Entretien avec Harry Sugiyama Vol. 2
L'incursion de Harry Sugiyama dans le monde du divertissement a commencé par pure curiosité. Ayant grandi dans une école réservée aux garçons, le monde glamour du mannequinat lui semblait être un monde complètement différent. Mais comment ce rêve vous a-t-il conduit à votre carrière actuelle ? Son parcours a connu de nombreux tournants, qui ont débuté comme mannequin et se sont étendus au monde de la radio et de la télévision. Nous examinons de plus près l'histoire de Harry Sugiyama alors qu'il gravit les échelons de l'industrie du divertissement, en utilisant l'esprit curieux et les compétences de vente qu'il a héritées de son père. *Image du haut prise par Matsukawa Rika (Hige Kikaku)

「モデルからエンタメの世界へ」きっかけは男子校育ちの好奇心と憧れ
―少し話題を変えますが、ハリーさんがエンターテインメントの世界に足を踏み入れたきっかけは何だったのでしょうか?
撮影/松川李香(ヒゲ企画)
16〜17歳の頃に、日本のモデル事務所に名前だけを登録することになりました。夏休みに日本に帰ってきたとき、モデル業界が華やかに見えたんです。シンプルに言うと、男子校の全寮制に通っていたので、女の子と仕事をしたり、話せるという世界がすごく魅力的に映りました。
学生だったのでお金もなく、モデルの仕事でお金を貯められたらいいなとか、いずれ芸能の世界に行くなら今のうちに何かきっかけを作っておいた方が良いのではと思っていましたね。完全に憧れだけで、モデル事務所に名前を登録しましたが、あまりオーディションは回ってきませんでした。
―モデルの仕事を始めてから、エンタメ業界に入るまでの道のりで、どんなターニングポイントがあったのです?
18歳の時、高校を卒業して日本に戻ってきたんですね。高校と大学の間に1〜2年のブランクがあっても問題なかったので、その期間、平日は日本でM&Aコンサル会社で働きながら、土日はDIESELでバイトをして、さらにモデルの仕事が入ったらそちらもこなしていました。
―モデルとして経験を積む中で、テレビやラジオの仕事に繋がったのですか?
撮影/松川李香(ヒゲ企画)
いや、全くそんなことはないです。モデルとしても限界を感じていて。雑誌の顔になるようなトップモデルではなく、仕事はしていましたが、月に2〜3本、良い月で10本ほどの仕事でした。
でも、その中で自分の限界は見えていましたし、どうしても話す仕事がやりたかったんです。当時の事務所に「話す系のオーディションはないか?」とよく相談していましたし、ネット上で作品撮りを呼びかけて、名前を売るために色々なことをしていました。
その活動が、少しずつモデルとしての資料(ブック)を充実させ、最終的にはユニクロのキャンペーンやリーバイスのアジアキャンペーン、資生堂のCMなど、少し大きな仕事に繋がっていきました。その後、タレントとしての仕事でも以前お世話になったスタッフさんたちと一緒に働けたことがとても嬉しかったですね。
「モデルから黒船特派員、そしてラジオへ」話す仕事への挑戦と意外な転機
―モデルとしてのキャリアを積む中で、話す仕事を掴んだきっかけはありましたか?
撮影/松川李香(ヒゲ企画)
テレビの世界に少し触れることができたのは、2008年のスペースシャワーTVでSHELLYさんと一緒に音楽チャート番組を担当した時です。でも、そこからトントン拍子に仕事が増えると思いきや、全然そんなことはなくて。
シェリーさんやその友達のアーティストであるマリア・テレサ・ガウさんに「どうにかしてテレビの仕事ができないかな」と相談していました。そこで紹介されたのが、東京MXの『5時に夢中!』という番組で、僕は黒船特派員として出演することになりました。
そこでいろいろな知り合いに顔を売り、どんな場でも話を聞いてもらっていた結果、ラジオのJ-WAVEのオーディションに繋がったんです。「一度来てみない?」と誘われて、オーディションを受けたら受かってしまいました。
それで2011年から『PARK IN THE SKY』という番組を担当し、ほぼ無経験ながら27歳で昼の帯番組を任されました。そこから現在も『ノンストップ!』という番組に繋がり、自分でも驚くくらい右肩上がりで進んできたと思いますね。
「父親から受け継いだ探求心とアサート力」ハリーが営業力を磨いた原点とは?
―これまでを振り返って、営業力や自分を売り込む力の源は何だったと感じていますか?
撮影/松川李香(ヒゲ企画)
それは、何よりも亡くなった父親の圧倒的な影響だと思います。父は子供の頃から「ハリー、アサート(assert)しろ」とよく言っていました。この「アサート」は自己アピールをもっとしなさい、という意味です。仕事のためというよりも、常に物事の奥にある真相を探求しなさい、という教え。
父は「イエスかノーではなく、なぜそうなったのかを追求する魂を持ちなさい」とよく言っていたんです。その影響で、僕も物事に対して探求心を持つようになり、自分が知らないことに対して興味を持ち続けることができたんだと思います。これは、父がジャーナリストだったこととも関係しているかもしれません。
―そうした探求心や感性が、今のハリーさんの原動力になっているのですね。
撮影/松川李香(ヒゲ企画)
間違いないです。父が教えてくれたことや自然と受け継いだ感性、そして13歳から18歳まで通っていたウィンチェスター・カレッジでの教育が、今の自分を作り上げたと思いますね。
Vol3に続く
ハリー杉山
2008年にスペースシャワーTVのMCとして芸能活動をスタート。日本語、英語、中国語、フランス語の4か国語を操る卓越した語学力を活かし、2011年よりJ-WAVEのナビゲーター、2012年よりフジテレビ「ノンストップ!」などで司会、リポーター、モデル、俳優としてマルチに活躍中。フルマラソンでサブ3を達成するほどのランニング能力や、サッカーにも精通している。