% Si 91% bc%

英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.48『マラドーナ結びの真実編』

この画像をご覧になられたシニアサッカーファンの多くは、くつヒモの結び方を懐かしく思い出されると思います。もしかしたら若かりし頃に真似された方もおられるかもしれません。マラドーナ選手によって日本に広まった独特のくつヒモの結び方は「マラドーナ結び」と呼ばれていましたが、果たしてその起源はいつ、だれによって始まり、いつごろ終了したのか調べてみました。

Icône 29634314 1815368455432881 1085668874 oHiroaki Konishi | 2020/11/18
アルゼンチンでは試合中にスパイクが脱げてしまうのはとても恥ずかしいことであるとの記述をどこかで読んだ記憶があります。 だからといってこれでもかっていうほど、余ったくつヒモを足首やスパイクにグルグル巻いて、血が通わないのでは(?)というほどきつくしばりあげるのがアルゼンチン選手の特徴でした。

そして、なるべくくつヒモが余るよう考え出されたような(?)独特のヒモの通し方、結び方は、日本人は初めて目にしたと思います。  

 ディエゴ様はプロサッカー選手になった直後(1976年頃)はアディダスのスパイクをご使用で、その時は普通の結び方だったようです(図1左)。

しかし、ほどなくしてプーマのスパイクを履くようになってから、いわゆる「マラドーナ結び」を始められたようです。

Thumb efbc92Figure 1 プロデビュー直後、アディダスのスパイクでプレーするディエゴ様(左)。その後、プーマに変更され、独特の結び方を始められたようです。右は79年頃。このシュータンはヒモの結び方がよくわかります。 

ディエゴ様は国際大会デビューした79年ワールドユース大会で、初めて日本でプレーされました(図2左)。その時も独特の結び方で、最後の国際大会になってしまった94年アメリカW杯でもこの結び方をされていました(図2右)。

Pouce e59bb32Figure 279Année Wユース初戦のディエゴ様。試合開始時は別のスパイクでしたが、そちらも「マラドーナ結び」でした(左)。右は最後の国際試合になってしまった94Année W杯のナイジェリア戦で黒塗りのプーマスパイクでプレーされるディエゴ様。
 

ディエゴ様はW杯に4回出場され、計21試合プレーされました。 すべての試合で「マラドーナ結び」のスパイクだったわけではなく、普通の結び方だったのが2試合あります。

82年大会の開幕戦(対ベルギー)と86年大会の予選リーグ・イタリア戦はどちらも普通の結び方の固定式プーマスパイクをお使いでした(図3)。  

Thumb efbc94Figure 382年大会ベルギー戦(左)と86年大会イタリア戦(右)。中央はそれぞれのスパイクの拡大図。
イタリア戦のモデルはかかとにプルストラップがある珍しいタイプです。

 ディエゴ様は引退後もエキジビジョンマッチでプレーする時のスパイクは「マラドーナ結び」をされていたようです(図4左)。  
Thumb efbc95Figure 4 マテウス選手の引退試合(2000年)でプレーされるディエゴ様(左)。スパイクは「マラドーナ結び」のこちらのモデルの改良版だと思います。右はディエゴ様の近影。ルコックのシャツにプーマのシューズ。シニアファンには懐かしい組合せです。シューズのヒモもそれっぽく見えてしまいます。
還暦を迎えられた直後に入院・手術(その後無事ご退院)されたとの報道がありましたが、順調なご快復と監督復帰を願うばかりです。 

さて、そもそも70年代後半からディエゴ様は「マラドーナ結び」を実行されていたわけですが、日本で認知されたのは図5の記事が出てからだと思います。

これは、86年W杯で大活躍して優勝し、英雄になったディエゴ様を特集するプーマの小冊子(サッカー雑誌の付録)のものです。 いわばプーマが「マラドーナ結び」の名付け親なのかもしれません。
  
Thumb efbc96La figure この記事(86年頃)で日本中に「マラドーナ結び」の呼び方が定着したようです。 

 私も当時はディエゴ様が始めて、日本に広まった「マラドーナ結び」と認識していましたが、昔のスパイク記事を書き始めて少し疑問を感じ始めました。  

いかんせん、82年W杯ぐらいからサッカーに興味を持ったので、70年代のサッカーには疎いのですが、78年大会でアルゼンチンが優勝したことぐらいは知っていました。 その時の選手の方々の画像を見ますと、結構な割合で「マラドーナ結び」をされています(図6)

Thumb efbc97Fig. 678年ごろのアルゼンチン代表チーム。ディエゴ様はまだ招集されていませんが、ベルトーニ選手(黄色ラインのアディダス)、パサレラ選手(顔を触っている)、そして78年大会得点王ケンペス選手(右)は「マラドーナ結び」をされています。 

さらに時代をさかのぼって74年大会の代表チームを調べてみますと、やはり「マラドーナ結び」の選手が何人かおられました(図7)。

Thumb efbc98La figure 74Année W杯のアルゼンチン代表チーム。ケンペス選手(前列左から2番目)も出場されており、この画像ではわかりにくいですが、すでに「マラドーナ結び」をされていたようです。 また、後列右端のRoberto Telch 選手のアディダススパイクはあきらかに「マラドーナ結び」です。 

 さらにこれ以前となりますとアルゼンチンは70年W杯本大会に出場していないので、鮮明な画像が少なく、判断が難しいところです。

私が調べた限り66年W杯の画像で、あきらかな「マラドーナ結び」の選手はおられなかったようなので、おそらく70年前後が「マラドーナ結び」の起源ではないかと思われます。 私が見つけることができた最も古い「マラドーナ結び」の選手の存在を示す画像はこちらです。

Thumb efbc99

La figure 72年ごろのアルゼンチン代表チーム。前列中央のRoque Avallay 選手のスパイクはカラーも珍しいですが、あきらかに「マラドーナ結び」のようです。 

まあ、今さら「Avallay結び」に変更すべきと唱えるつもりはまったくありませんが、少なくとも個人的には「マラドーナ結び」ではなく「アルゼンチン結び」と呼ぶようにしています。  

この独特なヒモの結び方をしている最近のアルゼンチン代表選手はいないと思いますが、この結び方はいつまでされていたのかも疑問でした。 少なくとも94年W杯ではディエゴ様しかしていなかったようです。

90年大会では半数ぐらいの選手が様々なメーカーのスパイクで「マラドーナ結び」を実行されていましたが(図10)、90年代前半に急激に廃れてしまったようです。 個人的にその原因は、90年大会での前回大会優勝GKのケガではないかと想像しています。

Pouce 10Figure 990Année W杯のプンピード選手(左)とディエゴ様。プンピード選手は「マラドーナ結び」で、スパイクのヒモを足首に巻くのが好きな選手でした。 今はどのGKもやっている、ボールを高めに構えて蹴るパントキックもこの方が広めたと個人的に思っています。
   
プンピード選手は2戦目のソ連戦ですねを骨折してしまいました。 骨折の原因がこのヒモの結び方とは言えないかもしれませんが、映像を見るとなんとなくよからぬ負担が骨にかかってしまった気もします。
あくまで個人の想像で、真実はわかりません。

Pouce 11
Figure 1090Année W杯決勝のアルゼンチン代表選手。キーパーはプンピード選手の代わりに出場し、大活躍したゴイコチェア選手。この時点では「マラドーナ結び」、ヒモ足首巻きの選手が多くおられます。しかし、94年W杯では足首巻きの選手はいなかったようです。
  

先日、「マラドーナ結び」などについて実際にディエゴ様にも会われた経験を持つサワダタツヤ氏が主催する音声配信で語らせていただきました。
よろしければそちらもお聞きいただければ幸いです。  

画像は富越正秀様、
ゲッティイメージズなどより転載させていただきました。